ダライ・ラマ14世の生家

 
いろいろチベットを旅行しつくした女性が「ダライ・ラマの生まれた家が意外といいの、まわりの風景が素朴な感じで」と言うのだ。ほんとかなあ少しあやしんだが、よし行ってみよう、ということで出かけてみた。
 
今はインド・ダラムサラに住んでいる14世はアムドそれもかなり北の方の人だ、西寧から近い。西寧から平安行きのバスに乗り1時間もかからず平安に着く。
 
西寧から平安までの道には高層住宅や一戸建ての高級住宅が建っていた、それもたくさんこんなに建てて大丈夫なのかと思うくらい。西寧のベットタウンにするのだろうか。
 
グーグルで検索すると海東市で出てくる、同じ所だ。海東市平安県らしい、県(县)の方が市より小さい、それより小さいのが郷(乡)、なら鎮(镇)は、州は、よくわからない。
 
平安の町は、規模とは関係なく、お約束通りだだっ広い広場を備えた鉄道の駅(ここに止まる列車は1日何本あるんだろう?)を出たところにある中国の小さな町共通の広い一本道の町だ。
ほとんどが工事中で雑然としている。真ん中あたりにバスが二、三台止まっていてそこがバスターミナルというかんじ。
 
運転手らしき男に、行き先を書いた紙「石灰窯郷紅崖村」を見せたがそんなとこに行くバスはないと言われた。仕方ないタクシーで行くことにした。
しかしバスはあったのだったそれも30分おきくらいに出ていた、聞く相手をまちがえた。
 

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南に下る高速道路の一本西寧寄りの道を行く、けっこう道は舗装されていて乗り心地はわるくない。
 

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三合鎮というところを過ぎ二股を右に行く、左は寺台。

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 三合鎮あたりの風景、たぶんこの辺りが紅崖村だろう、だってそのまんまなんだもの。
 
だんだん上りになって行く、道はすごくいい、きれいに舗装されたばかりという感じだ。きっとダライ・ラマの生家にお参りに来るチベタンがたくさんいるのだろう。そういう意味では国の意思とは別にダライ・ラマに敬意を払っている感じはする。
 
約30分くらいで村に着いた、しかし……
 
 

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丘がいくつも入り組んだような高いところに丘ごとに集落がある、たしかにのどかで美しい所だ、こんな所に生まれたのか、と感心しつつ車を降りる。
 
どの家が生家かわからないなあ、と思っていると管理しているのか簡単なテントの下にテーブルが置いてあり公安が二人いた。
 
ダライ・ラマの生家はどこでしょうかと聞くと、この上だと指差したが、外国人かと聞き返してきた。そうだと言うと、外国人はダメだと言われてしまった。いったいどういうことだろう、わざわざ来たのに。
 
とにかく外国人には解放されていないと言い、私を置いて立ち去ろうとしているタクシードライバーに、こいつを連れて町までもどれと言いつけていた。
中国のこわい公安の言うことは逆らえない、
 
こっそり中国人づらして通ろうとしてもだめだろう、名簿を書くみたいだし、きっと身分証を見せろと言ってくるはずだ。
最近まで見物できたはずなのに、すぐ規則が変わる中国政府のチベット支配、などと文句言っても始まらないが、がっかり。
 
しかたない戻るしかないな、と思い周りを見回してみるとすぐ近くに祠とタルチョが飾られている。
あそこを見てから町に戻る、いいかと聞くとさすがに公安もかわいそうだと思ったか、いいと言ってくれた。
 
 
少し離れたところにある丘に登り祠を見物し写真を撮る、これで終わりだ。

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向かいの山から村を見る、この中のどこかに生家があるはずだが……。

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この村はどうやって水を確保するのだろう。毎日下から運ぶのだろうか、まあ景色は山の上の方がいいことは確かだけど。

 

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生家の村の先に違う村がある、よく見ると寺がある、とうぜん14世ゆかりの寺だろう。

今から考えればこの村に行って見物してくればよかった、家々の感じも同じだし生活も見れたろう、うまくいけば寺も見物できたかもしれない。

 

帰りは三合鎮で降ろしてもらって麺を食べた。
店のおばさんに蔵族かと聞くと違うと言われた、亭主もやってきたので14世の家に行ったら追い払われたと言っても興味なさそうだった。
この辺は回族漢族中心の街らしい。
 
 
ということで採点不能。(16年7月)