デルゲ(徳格)行き ☆☆
甘孜初日、塔公からの乗り合いは新しくできた町外れのバスターミナルに着いた。
明後日行くデルゲ行きのバスを確かめようと中に入る、しかし時刻表はない。
窓口のお姉さんに聞く、
しかし四川なまりの中国語はよくわからない、いろいろたずねていると、だんだんお姉さんがおかしくなる、ついに爆発、どなりまくられた。
康定から来たデルゲに行く2時発のバスが裏の広場に停まっているからそっちに行って聞け、ということだったのだ。
翌日温泉から戻り、デルゲ行きを買おうと思ったが昨日もめたお姉さんみたいなので、朝早いバスはあると言う運転手に買ってもらうことにした。
しかしないのだ、昨日と同じことを言われたらしい、康定から来たバスが午後2時に出るそれだけ。
2時発ではデルゲで見学できない。1日増やすことになってしまう。
かなり離れた乗り合いのたまり場まで行ってみた。
デルゲと聞きつけ若い男がかけて来て、お前デルゲか明日8時にここに来い100元だと言う。よかった、これで行ける。
しかしなんであったはずの朝7時ごろ発のバスがないのだろう。
次の日、早く起きたので7時過ぎにはたむろする場所についていた。しかし運転手達にデルゲへ行く気の男はいない。
まあいい昨日の男が8時には来るだろう。
しかしいくらたってもその気配がない。
マニカンコに行けと言う運転手と、700元出せばデルゲに行くという運転手がいてうるさい。どうしようかマニカンコに泊まり、デルゲはあきらめるか迷っていると。
外人二人を囲み騒いでいる集団が、真ん中のスイス人のカップルがデルゲに行きたいと言っている、よかったこれで3人。
しかし運転手は7人そろわないと出発できないという。
7人なら100元、3人なら240元。
なかなか集まらない、そのうち運転手がどこかに消えた、そして違う車に乗って戻って来た、デルゲに行きたい男を4人乗せて。
近くの古いバスターミナルから違う車を連れて来たのだった。
これで合計7人、やっと出発8時20分。
デルゲに行きたい人はそんなにいないようだ。
道は美しい、昔は6168mの雀児山を越えてガタガタといったらしいが、最近トンネルができて簡単に行けるとネットに書いてあったが、トンネルはなかった。でも道は整備されていてそんなに大変ではない。
ブルーポピーも咲いている。
この道を通る時は、絶対車の左側に座ること!
私は右側だったせいで美しい所がよく見えなかった、窓から山の中腹の氷河も見れる、とにかくきびしくてとても美しい。
何に使うんだろうか、チベット人だから食べることはないとすると売るのだろうか小さいウサギが乗っている。しかし前方から入る寒い風のせいでみんなかたまってしまった。これを見たスイス人の女性が泣きそう。
男がおおいをかけて次の休憩所では生き返っていた。
10時頃マニカンコを通過して1時にデルゲに到着。
谷川に沿った山深いところだ、山が高くて周りが見えない。
麺を食べてから宿探し、すべて坂道だから疲れる。徳格印経院の近くまで行くと良さそうな宿があった。260元。
正面が印経院、黄色い看板が宿、チベット風のおしゃれな部屋だった。
宿の男が部屋に案内して、くくりつけのベッドを指差しタタミタタミとふざけていた。なかなか来にくい所ではあっても日本人はいがいと来るのかもしれない。
山深い所でお経を刷っていると聞くと、どこか日本人の心をくすぐるところがある、そう感じる日本人とくにシニアは多いのではないだろうか。
徳格印経院を見物、薄暗い場所でいろいろ刷っている、思ったより小さな四角い所だった。電気はなく、むかしのままの自然光を取り入れて作業している。
しかし見物はけっこうすぐ終わる、印経院は寺ではないので本堂などはない。
近くに小さい寺がいくつかありそうだが、よく調べずに来たので行きようがない。
外にお経を売る場所があったがきちっとしたお経で坊さんたちが買っている。
お土産用の小さなお経とかそれらしいグッズがないかと思ったが、そんな所ではなかった。
カムに来て初めてカンパらしい男にあった、この人以外どこにもいなかった。
カムの男は背が高く強そう、と思っていたがみんな普通だった。普通の服を着ているから漢民族とまちがえる。髪に赤い布を巻いた男たちにはどこに行けば会えるのだろう?
コルラできるタルチョの坂道があった、でもやめた苦しそうだから。
僧院の屋上から。民家はラルンガル・ゴンパと同じ形式の建物だ、あそこよりはきちっと建てられている。ここと色達はけっこう近いせいだろうか。
お経の版木はいろんな寺で見かける、特にここで量産され有名なのはなぜだろう。
なぜこんなところにお経を刷る所があるのだろう、こんな所と言っては失礼だが、どう考えたって交通の便は良くない。まして車のない遠い昔徒歩であの山を越えカムのお坊さんたちが求めに来たのだろうか。
でもここはチベット自治区がすぐそこだ、そっち側を対象にしているんだろうか。
などと考えながら町を散歩する。
偶然入った茶館の男が親切でいきなり日本人かと聞いてくる、そうだというと少し話しかけて来た。
明日はどこ行くのだというから石渠だと答えると、バスはないからすぐ横の乗り合いのたまり場から拾って行け。しかしあの男達は中国語の普通語(標準語)はしゃべれないし文字も読めない、俺が明日の分を聞いてやると言って親切に連れて行ってくれた。
明日の8時発で話が決まった、ずいぶん親切な男だ。やはり日本人は好かれているのだろうか。
チベット人の男は皮のジャケットなどワルド系のファッションが好きだ、鋭い目線で日に焼けた肌でその服だと少しひくが、実はとてもやさしい、そんな男がいっぱいいる。ただしタクシー運転手はしっかりボル。
翌日8時乗り合いは8人乗せて出発、1人多い。前の席は男が4人きゅうくつそうに座っている。
朝早い康定行きのバスは6時頃出るらしい。
日本人がふつうにデルゲという言い方でちゃんと通じてうれしい。
マニカンコも通じる。カンゼは通じない、中国語の gān zī もなんか微妙に違って通じにくい。
甘孜からデルゲの道はとても美しい。+1 徳格印経院は思ったほどよくなかった、少しあこがれすぎていたかも。+1 合計+2 (17年7月)