毛庄郷という村 ☆☆☆☆
尕丁寺から2時間歩いて宿に戻った、途中のどがかわいたが、ペットボトルの水を飲まずにがまんした。この状態で村に戻ればビールがうまいはずだ、三寺院見学達成の乾杯をしようと宿に向かう。
宿のそばに売店がある、よく見ないとわからないような。中に入ってビールをくださいというが、何人かいるおばさん達は変な顔をして話をしている。
ねえ、ビールくださいと言っても反応がない。棚にビールの形をした瓶が置いてある、それ見せて。しかしビールとは書いてなかった。
店を出てもう一軒ある店に入る。やはり話に夢中のおばさん達は反応がない、しつこく言うとなんか説明してくれたがわからない。
しかたないビールのような形をした瓶を買い、宿の庭にある椅子に腰掛け、炭酸入りジュースのようなもので乾杯した。いちおうおいしかった、のどかわいているからね。
そのうち今日も付近をトレッキングしてきた台湾のお姉さん達が帰って来てにぎやかになった。
そして夕食、食事はいつもおばあさんが作る。今日も野菜がいっぱいつまった煮込みうどんのようなもの。
宿の主人に聞いてみた、なんで売店にはビールがないんですか、ビール飲みながら食事がしたいのに二軒ともなかったんですけど。
すると主人の口から出たのはびっくりする答えだった。
この村は敬虔な仏教徒の住む村ですから、酒は禁止です!
え、酒禁止の仏教徒?
では玉樹から酒を買い込んで来てこの村で飲むのは大丈夫ですか?
追い出されます!
しばらくなんだかわからなくて茫然としていた。
仏教って何だろう? 仏教にそんな戒律があっただろうか? そもそも仏教に戒律などあるんだろうか、昔から殺生はしないと言う言葉はあるが。
私達は葬式仏教徒だけど、日本人で確実に仏教徒だろうと思はれるのはお坊さん達だ。けれども彼らが酒は飲まないなんて話は聞いたことがない。それどころか結婚はする、女はつくる、金もうけはする、肉は食べる、酒は飲む、全部許されている。なんなんだ仏教っていったい。
それでなくともよくわからない仏教、以前何冊か本を読んでみたが、読めば読むほどわからなくなりやめてしまった。また読んでみようか……。
そんなカルチャーショックを起こさせた村を、翌日の朝早く起きて散歩してみた。村は小さい、朝食前じゅうぶんひと回りできる。
まず宿の前の道をまっすぐ歩き、チョルテンのある村の入り口まで行ってみる。朝早くお年寄りはいなかった。
午後行ったときはたくさんいた。みんなカメラに顔をそむける。
村の真ん中を一本に走る道は、片側一車線ずつきちんと舗装され、両側には歩道まである。この道は玉樹からチベット自治区の昌都まで続いているが、昼間も車はほとんど通らない。歩道も草が伸びきっている。しゃれたゴミ箱まであるが、歩く人もまばら。
チョルテンを右に曲がると少し上りになり、寺の建物やチョルテンやマニ石が点在するエリアにたどり着く、寺の敷地という感じ、寺の建物は少し古くあまり美しくはない。
一つの建物をのぞいてみると、広い校庭で小坊主達を一人の先生が教えていた。お経の練習みたいだ、一人ずつ先生のところでお経を唱えチェックされていた。
寺の高台に登って村を見下ろす、朝早く家々の上空にうっすらと雲が流れてきた。標高3690m
寺の下の道には食堂が3軒ほど。一本道に戻ると寄宿舎制の小学校があった。その先少し行くと毛庄郷人民政府、そして宿、大きな木が4、5本庭の角にあるこれが目印。
尕丁寺に続く川は村の横を流れている。宿から少し戻り橋を渡って村のはずれに向かうと、来た日に行った尼寺にたどり着く。
それで全部だ。とても小さな村だが、村人の住む家々の面積と寺関係の面積がほとんど変わらない、むしろ寺の方が大きいくらいだ。仏教がどれくらい尊重されているかよくわかる。尼寺もあるし。
この寺はこの村ばかりではなくこの地方一帯を代表する寺のようだ。役所もあるのだからいろいろとこの辺の中心なのだろう。
宿に戻って朝食、そこでふと気がついた。何回か食べた宿が出してくれた食事、まったく肉が出ない。全部野菜ばかりだ。
米の取れないこの地方では主食は粉類。うどんの煮込みみたいなものかチヂミみたいなもの、あとはいつでも食卓に置いてあるパン。
肉はない、他地域に住むチベット人が食べるヤクの干し肉なんかも見当たらなかった。つまり殺生しないって事だ。
ほんとうに敬虔な仏教徒の村だったのだ!
もし何年か前、中央を走る道が整備されていなければ、細い道に古いチベット人の家々が立ち並んでいたのだろうか、高台の寺に見守られながらつつましく生きる小さな村、そんなチベット人の生活が見られたかもしれない。
と思うと少し興奮するが、その頃は外国人に解放されてはいなかったろう。
なぜか心安らぎいろいろ考えさせられる村だった。
毛庄乡(maó zhuāng xiāng) みんな「マオチャンシャン」って感じで呼んでいる。
村の作りはどこにでもある普通のチベット人の住む村、そんなに美しくはない。-1 大勢の人に触れたわけではないが人々は感じがいい。+2 美しい自然に囲まれ仏教とは何かを考えさせる村だ。+2 合計+4 (18年7月)