巴塘草原の星空観察 ☆☆☆
3日目の昼前、台湾の皆さんがチャーターした玉樹行きのバスに乗せてもらい、舗装された道を行く。
1時間くらい走ると川に橋がかかっていた、尕丁寺で渡ったこわい橋と同じタイプだ。宿の主人の案内でここの橋をみんなで渡るのが恒例のようだ。
わいわいやりながら、みんななんとか渡りきった、私は尕丁寺の橋よりもっとこわかった作りなので途中でやめてしまった。
橋を渡り対岸で宿の主人が石切りをやりだす、みんなもまねする。河原で遊ぶ時はどこの国でも同じだなあなどと一人見つめていた。
ドローンを飛ばしていた青年。メールで送ってくれと頼んだが来なかった。美しい動画がきっといっぱいあるだろうなあ、見たかった残念。
しばらく行って草原で昼飯、宿からたくさんの食べ物を持って来ていた。楽しく食事。
完全な逆光、顔がわからなくてちょうどいい。
そしてまた草原を走る、主人があそこだ降りるぞと教えてくれる。台湾の皆さんにお別れを言い、草原のテントを目指す。
まずは小さな川の流れる手前のテントの中に。遊牧民のテントだ、遊牧生活のついでにキャンプの管理もしている。奥さんと二人の娘、一人は小さな子どもを抱いている。
ミルクティーを出してくれる。お茶の葉も貧弱でミルクも薄い。リアルな遊牧民のミルクティーだ。そして川を渡りテントが6つほど並ぶ対岸に。
しばらくすると大きなバンが着いた、イギリス人のふた家族8名様だ。じつはこの家族のために今日のテント宿泊がある、私のためではないのだ。たまたま今日だったのでまぜてもらえたのだ。主人も2日後にやってくる香港人のグループをここで迎えるために待機している。なにもかもうまくいっている、ラッキーってとこ。
テントの前にパラソルをはって、椅子を持ち出しそれぞれに休憩。まだ夕飯には時間があるので少し歩いてみることにした、丘の中腹でコーヒーでも飲もう。
夕飯は7時だよ、おくれたら食事の保証はないよと言われながら歩き出す。
目の前の丘を登る、遠くまで行きたかったが、結構疲れる。キャンプを見下ろす丘で休憩。
目の前に草原が広がり丘が取りかこむ、その真ん中を毛庄郷と玉樹を結ぶ道が一本通っている。間隔を置いて遊牧民のテントがいくつも並んでいる。ゆったりとした風景。ここにいる時は特に感じなかったが、写真を見ると空がきれいだ。
空と雲の質がちがう。
そろそろ夕食だ、丘を下る、斜面にたくさんの穴が空いている。マーモットだろうか、いっぱい穴から首を出す。
食事は食材を玉樹から運んできたイギリス人の旦那さんが腕をふるっている、台所専門のテントの中で。横には大きなテントに大きなテーブル、大勢で食事ができるようになっている。
なんとなく料理ができ、それぞれになんとなく皿によそり、食事が始まる。みんなそろっていただきますはなし。
食後何かあるらしい。イギリス人のリーダー的女性の誕生日だった。ケーキが出てきた、Happy birthday to you を歌う。次はチベット語、そして中国語で。日本語はと言われ困った、日本は英語ですと言うと通じたのかみんな笑っていた。
このケーキどこで買ったのと聞くと、玉樹だと言っていた。普通においしかった、中国のケーキもここまで発展していたか。
誕生日の女性は、成都の大学でここのホストと一緒に勉強していたらしい、中国語ペラペラ。留学生ですかと聞いたが何か言っていた、よく考えると学生という年じゃない、教授か英語の先生という感じだ。
楽しい食事も終わり、いよいよ星の出る頃、まだ早い。しばらく外で休んでいると、薄暗くなっていく、西の空を見ると一番星が、宵の明星、金星?
左上の小さな点
そして東の空を見て見ると、なんと、きれいな月が山陰からのぼってきた。なんてことだ今日は満月だった!
満天の星空は無理だ、あきらめてしっかり寝た。途中一度だけ無理をして起き出し空を眺めて見たが、月が煌々と輝いていた。
翌朝、顔を洗ったりしていると、主人にヤクの乳しぼりを見に行きましょうと誘われ、川を渡る。遊牧民の女性達三人がしぼっている。乳しぼりを終えたヤクは綱をほどかれ自分達でかってに山にのぼっていく。
私たちはそのまま遊牧民のテントの中へ、朝食だ。チベタンの朝食は当然ツァンパだ。ツァンパは今まで3、4回食べた、しかし今日はほんとうの遊牧民のテントで食べる、やっと夢がかなった。
ヤクの毛で編んだテントの中でツァンパを食べるというのが理想だが、今時そんなテント使ってない。
ツァンパ入れの木の箱がすっごくいい。
あこがれのツァンパだが、いつ食べてもどうしてもなんの味もしない、正直まずい。でもいい。観光客にはどこで食べても砂糖を入れるか? と聞いてくるが、入れるともっとまずい、昔食べた麦こがしの味だ。
ほとんど何の味もせず塩分もないツァンパ、これがチベット人の作る料理の薄味の理由だと思う。
そこへこの家の主人だろう、いい体格の男が現れ奥さんの横に座る。奥さんは話を続けながらお椀をとり、たっぷりバターを入れツァンパをかけてこね出す。よくこねるとそれを亭主に渡した、亭主はミルクティーをかけ、飲んでからツァンパを食べた。
奥さん、奥さん、手洗いました? 洗うわけがない蛇口などどこにもない、手を拭く手ぬぐいもない。外に行けば川があるが。
さっきヤク絞ったり、ゴミかたずけた手のまんまこねたわけね、あんまり考えないようにしよう。
大地にあるすべてのものを手に受けそのまんまツァンパをこねる、愛情を込めて。
ツァンパの朝食をすましテントに戻ると、イギリス人達は食事の用意をしていた。食後彼等はトレッキングに出かけた、もう一泊するらしい。
散歩したり、本を読んだりしてゆっくりしていると、バスに乗ったボランティア医師団の一行がやってきた。主人に別れを告げ、医師団のバスに乗り昼ごろ草原を後にして、玉樹に戻った。バス代はタダだ。
腰痛に悩む遊牧民のおばさんは、お医者さんに腰に針を刺してもらう。
テント内には自家発電した電灯がついているが、懐中電灯は必携。主人がスマホの電気はがなくなってあわてていた。そのうちソーラー充電器をつなげていた、うれしそう。太陽光は十分にある。
きちんとしたトイレはあった。シャワーもあるみたいだが……。
美しい所だがいろいろ見てきた所がきれいすぎたため平凡にうつる。+1 今回は月にじゃまされたが、満天の星はきれいだろう。+1 草原でキャンプ、遊牧民の生活を見学、というツアーはいくらでもありそうで意外とない、ここはバッチリ。+1 合計+3 (18年7月)
ついでに今年の「玉樹」
去年来た時よりも玉樹は明らかに一年分古くなった。中国はなぜかすぐに建物がきたなくなる、なぜだかわからないが三年もたない。
町の中心にある観光協会も開店休業状態、従業員がいない、警備員が週に一度来ると言ってた? バス路線は5本に増えていた。
玉樹では別の宿に泊まってみたかったので、お世話になった皆さんと別れ、嘉那嘛呢近くのゲストハウスに行ってみた。
しかしここやめたほうがいい古すぎる、ほんとにきたない。従業員のお姉さんもまったくやる気なし。
150元くらい払えば泊まれるがパスポートチェックも何もなし。カギはドアについてる。チェックアウトする時も何もなくただ出て行けばいい。気楽といえば気楽。いちおうシャワーなど設備はきたないなりにきちんとしているのでもったいない、改装すべきだ。
よく考えると、7月下旬に旅のスケジュールを組んだのは、毎年25日から29日まで開かれる馬祭りを見学するためだった。いろいろ楽しくて忘れていた。見物するには今日しかない、もう2時過ぎている。タクシーをひろい「赛馬」と言ってみると走り出した。まだ間に合うみたいだ。
会場は町の中心からそう遠くない、新しいバス路線も通っている。観客はいっぱいいたが、もう馬の時間は終わっていて、歌と踊りだった。プログラムもなく何日の何時頃何をやるかどこにも書いてない。少し見て町に戻った。
せっかく近くの宿に泊まったのだから、6時ごろ起きだし朝のコルラに行ってみた。予想以上に人がいた。
夕食を町の中心ですまし戻ってくると、入り口のチョルテンが美しく輝いていた。嘉那嘛呢の夜の顔だ。
毛庄郷という村 ☆☆☆☆
尕丁寺から2時間歩いて宿に戻った、途中のどがかわいたが、ペットボトルの水を飲まずにがまんした。この状態で村に戻ればビールがうまいはずだ、三寺院見学達成の乾杯をしようと宿に向かう。
宿のそばに売店がある、よく見ないとわからないような。中に入ってビールをくださいというが、何人かいるおばさん達は変な顔をして話をしている。
ねえ、ビールくださいと言っても反応がない。棚にビールの形をした瓶が置いてある、それ見せて。しかしビールとは書いてなかった。
店を出てもう一軒ある店に入る。やはり話に夢中のおばさん達は反応がない、しつこく言うとなんか説明してくれたがわからない。
しかたないビールのような形をした瓶を買い、宿の庭にある椅子に腰掛け、炭酸入りジュースのようなもので乾杯した。いちおうおいしかった、のどかわいているからね。
そのうち今日も付近をトレッキングしてきた台湾のお姉さん達が帰って来てにぎやかになった。
そして夕食、食事はいつもおばあさんが作る。今日も野菜がいっぱいつまった煮込みうどんのようなもの。
宿の主人に聞いてみた、なんで売店にはビールがないんですか、ビール飲みながら食事がしたいのに二軒ともなかったんですけど。
すると主人の口から出たのはびっくりする答えだった。
この村は敬虔な仏教徒の住む村ですから、酒は禁止です!
え、酒禁止の仏教徒?
では玉樹から酒を買い込んで来てこの村で飲むのは大丈夫ですか?
追い出されます!
しばらくなんだかわからなくて茫然としていた。
仏教って何だろう? 仏教にそんな戒律があっただろうか? そもそも仏教に戒律などあるんだろうか、昔から殺生はしないと言う言葉はあるが。
私達は葬式仏教徒だけど、日本人で確実に仏教徒だろうと思はれるのはお坊さん達だ。けれども彼らが酒は飲まないなんて話は聞いたことがない。それどころか結婚はする、女はつくる、金もうけはする、肉は食べる、酒は飲む、全部許されている。なんなんだ仏教っていったい。
それでなくともよくわからない仏教、以前何冊か本を読んでみたが、読めば読むほどわからなくなりやめてしまった。また読んでみようか……。
そんなカルチャーショックを起こさせた村を、翌日の朝早く起きて散歩してみた。村は小さい、朝食前じゅうぶんひと回りできる。
まず宿の前の道をまっすぐ歩き、チョルテンのある村の入り口まで行ってみる。朝早くお年寄りはいなかった。
午後行ったときはたくさんいた。みんなカメラに顔をそむける。
村の真ん中を一本に走る道は、片側一車線ずつきちんと舗装され、両側には歩道まである。この道は玉樹からチベット自治区の昌都まで続いているが、昼間も車はほとんど通らない。歩道も草が伸びきっている。しゃれたゴミ箱まであるが、歩く人もまばら。
チョルテンを右に曲がると少し上りになり、寺の建物やチョルテンやマニ石が点在するエリアにたどり着く、寺の敷地という感じ、寺の建物は少し古くあまり美しくはない。
一つの建物をのぞいてみると、広い校庭で小坊主達を一人の先生が教えていた。お経の練習みたいだ、一人ずつ先生のところでお経を唱えチェックされていた。
寺の高台に登って村を見下ろす、朝早く家々の上空にうっすらと雲が流れてきた。標高3690m
寺の下の道には食堂が3軒ほど。一本道に戻ると寄宿舎制の小学校があった。その先少し行くと毛庄郷人民政府、そして宿、大きな木が4、5本庭の角にあるこれが目印。
尕丁寺に続く川は村の横を流れている。宿から少し戻り橋を渡って村のはずれに向かうと、来た日に行った尼寺にたどり着く。
それで全部だ。とても小さな村だが、村人の住む家々の面積と寺関係の面積がほとんど変わらない、むしろ寺の方が大きいくらいだ。仏教がどれくらい尊重されているかよくわかる。尼寺もあるし。
この寺はこの村ばかりではなくこの地方一帯を代表する寺のようだ。役所もあるのだからいろいろとこの辺の中心なのだろう。
宿に戻って朝食、そこでふと気がついた。何回か食べた宿が出してくれた食事、まったく肉が出ない。全部野菜ばかりだ。
米の取れないこの地方では主食は粉類。うどんの煮込みみたいなものかチヂミみたいなもの、あとはいつでも食卓に置いてあるパン。
肉はない、他地域に住むチベット人が食べるヤクの干し肉なんかも見当たらなかった。つまり殺生しないって事だ。
ほんとうに敬虔な仏教徒の村だったのだ!
もし何年か前、中央を走る道が整備されていなければ、細い道に古いチベット人の家々が立ち並んでいたのだろうか、高台の寺に見守られながらつつましく生きる小さな村、そんなチベット人の生活が見られたかもしれない。
と思うと少し興奮するが、その頃は外国人に解放されてはいなかったろう。
なぜか心安らぎいろいろ考えさせられる村だった。
毛庄乡(maó zhuāng xiāng) みんな「マオチャンシャン」って感じで呼んでいる。
村の作りはどこにでもある普通のチベット人の住む村、そんなに美しくはない。-1 大勢の人に触れたわけではないが人々は感じがいい。+2 美しい自然に囲まれ仏教とは何かを考えさせる村だ。+2 合計+4 (18年7月)
尕丁寺 gā dīng sì ☆☆☆☆
10時にやっと来たタクシーに乗って寺までののどかな道を15分くらい。帰りは歩くからいいと言って帰らせた。
ついに来た! まずは寺全景の写真を2枚。
借りた写真、この高さでないと美しさにかける、と自分で撮った分。
この寺「尕丁寺」を知ったのは3、4年前。グーグルの玉樹の地図に誰かが寺の全景を貼り付けてあった。こんな寺があるのか? しかし場所も名前もわからない。
よく調べずにトンチンカンなところに写真を貼り付ける白人がよくいる。たぶんそのたぐいだろうと思ったが、やっぱり美しい、行ってみたい、いろいろ調べてみたがわからなかった。
たぶんチベット自治区の東側だろうと思ったが、この美しさならどこかのツアーに組み込まれていていいはずだと思ったが。
もしもを考えて、去年の旅行で寺の写真を印刷して持って来ていた、誰かに聞いてみようと。すると玉樹の結古寺の坊さんが教えてくれた、いとも簡単に。あんなにネットで探しまくったのに。
去年は玉樹から成都まで飛行機で帰った。その時空港の待合室にでっかい寺の写真が二つも展示されていた。玉樹の観光協会もご推薦だったのだ。
きれいに湾曲した川に囲まれた島の真ん中に寺がある。島に渡るには両側に橋が二本ある、車が通れるのは寺に向かって右の一本だけ。村から来た車はこわそうな橋を横目にぐるっと回って、もう一本の橋を渡り寺の横につけた。
本堂には人がいなく見物はできなかった、まあだいたいどの寺も同じだからいいか。他のお堂もいろいろ工事していて見物しにくい。
しかしどこもかしこも工事してるなあ、景気いいからね中国は。
さっそく寺の前庭という感じのまあるい草原に降りてみる。
草原の真ん中にテントがはってあり若い坊主が5、6人いた。そばに行って話してみる。寺に僧はだいたい150人くらいいるらしい。
ここでテント張っても大丈夫? 大丈夫だよ。 野良犬いない? いない。 狼は? いない。 ヘビは? いないよ。 うーんここでキャンプしてみたい。
坊主達はちょうど帰る所だった。ここで何していたんだろう。
川辺に行き、湯を沸かし携帯食料を食べる。よし、対岸に渡り美しい寺の全景を見物だ。と気持ちをふるい立たす、そうしないとあのこわそうな橋は渡れないから。
渡ろうと歩いて行くと、対岸の村からお母さんと子供が渡って来た、いとも簡単に渡っていた。あいさつしようと急ぐが、さっさと渡っていなくなってしまった。村人には普通の橋。
なんとか橋を渡り、寺の正面が美しく見えそうな場所を探して、斜面を上る。けっこう観光客が来るみたいだ足あとがある。
少し登って寺を見てみるが少し低い、もう少し上へ。斜面の中腹あたりでこの辺でいいかと腰をおろしてコーヒーを飲む。
きれいはきれいだが、なんとなく写真で見たときの衝撃にはとどかないな、写真の勝ち。
今は7月下旬、夏の真っ盛りで草木が茂り過ぎているように思う、またその時は気づかなかったがいくつか見た写真はもっと上の方から撮られている、もっと斜面の一番上まで登るのだった。
でも遠く時間かけて来た所、十分に楽しい。寺を前にゆっくり休んだ。
実はこの川はここでみごとにSの字に流れているのだ、グーグルの実写で発見した。先に行った二つの寺の空からの写真は探せなかったがここは簡単に探せた。
Sの字の先に何があるのか歩いて見た。カーブしてる所に寄宿舎制の小学校があった。その先は特に何があるわけでもなかった。道は川に隠れて見えなくなっていた、このままチベット自治区に続いていくのだ。
この川の名は「牧曲」。この先チベット自治区との境目あたりで、囊谦の横を流れてきた「扎曲」に合流し、昌都を通り、やがて「澜沧江」に流れ込み、雲南省を越えて、「メコン川」と名をかえ、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムを流れて南の海にたどり着く、すごい。
では、東南アジアの皆様に私の小便をプレゼント!
うーん、なんてスケールの大きな国際交流だろう! ちなみに中国でも小便と言う。
さ、そろそろ帰ろうか、宿のお姉さんに聞いたら歩いて1時間だと言っていた、散歩するにはちょうどいい時間だ。
今いるのは車で渡れる橋のたもと、川には両岸に道がある、どちらを歩いても宿に戻れる、道路工事をしているおばさんに聞いてみる、どっちの道の方が早く着くか。
おばさんは一生懸命教えてくれる、車で来たときの道の方が近いことはわかった。もう一つの道は遠回りしてどこかで合流するもう一本の川の橋を渡るようなことを言っていた。
では短い方で。でもまた寺を右手にぐるっと回らなければいけない。時間を短縮するにはまたあのこわい橋を渡るしかない。
やめておこう、私は危ない橋は渡らない主義だ。
短いようでけっこうかかる、一回りして村の所まで30分かかってしまった。
寺の裏の中州で小坊主たちがゲームをしていた。坊主が坊主の衣装を着る競争だ。全部着込んで最後に風船をふくらまして、最初に割れた人が一番にゴール。
小坊主達を指導する先輩達もいろいろたいへんだ。
川に沿ってゆっくり歩いていると、ふと丘側に目がいった、なんだろう青い花。
うん? ブルーポピー。確かにそうだ、ずっと4000m近い所を訪ねているのにこの花になんで出会わないのだろうと思っていた、やっと会えた、一本だけ。あたりを見回しても他には咲いていない、となりの茎は枯れかかり花は終わっていた。
ブルーポピーを訪ねるには、少し遅すぎたみたいだ、6月下旬から7月初旬くらいだろうか。でもよく一輪残っていてくれた、よかった。
チベット人はあまりブルーポピーに興味がないらしい、いろんな所でいろんな人に聞いたが、誰もろくに答えてくれなかった。ブルーポピー好きは日本人くらいか。
無事宿までたどり着く、1時間で着くと行っていたが2時間かかった。でも楽しいからそんなに苦にはならなかった。
村はずれ、対岸の左の丘に昨日行った尼寺が。
寺を囲む風景は思ったほどではなかったがやっぱり美しい。金色の屋根の寺、まわりを囲む山、すぐ横にある村のたたずまい、いい感じだ。+4 合計+4 (18年7月)
尕丁寺は嘎丁寺、尕尔寺も嘎尔寺と表記することがある。特に意味はない同じ発音だ。