夏琼寺  ☆

 
 
寺に近い町は扎巴、まずはそこまで行きたい。
 
西寧駅横のバスターミナルの切符売り場のおばちゃんと交渉しても、一番早いのは臨夏行きに乗り扎巴で途中下車する10時30分発だった。直接扎巴行きのバスはない。
 
そのキップを買ったが、これだと時間的にその日のうちに西寧に戻れないのではないかと思い、再度違うおばさんに挑戦する。
 
臨夏行きではなく尖扎行きなら早いのがあった。結局、尖扎行きのバスで途中下車にする8時発のバスのキップが買えた。
 
買ったキップには扎巴ではなく阿岱と書いてあった。
案内所のお姉さんに聞くと同じ所だと教えられた。
やっとわかった、すべては新しくできた高速道路のせいだ。高速道路のインターチェンジの名前が阿岱なのだ。
 

キップは払い戻しはできるが手数料を取られる、違うキップに買い換えるサービスはしていないので、払い戻してからもう一度買わないとならない。

 
平安まで行きそこから南に向かい高速道路を行く。通り越されそうなので扎巴で降りたいんだと車掌に言うとわかってる大丈夫だと言い、阿岱で高速を下り、すぐそばの扎巴の町のはずれまで行き私を降ろし、バスはUターンして高速に戻っていった。

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高速道路を走るバスからの風景。
 
少し歩くと扎巴の町の中心についた。町と言っても小さな所だ、坂道が二本交差していてそこが町の中心らしい。
乗り合いが何台か駐車しているが夏琼寺行きではない。
 
どうしたらいいだろうと思い、たむろしている運転手らしき男に聞いてみると、夏琼寺行きのバスや乗り合いはないらしい。
 
しばらく話しているとじゃあこのバイクの後ろに乗って行くかと言う、なんだ最初からそう言ってよ。
バイクの後ろに乗るなんて何年ぶりだろう、ちょっとこわいな運転うまいのかよと思うが、車を探すのは時間かかりそうだし値段も安いだろからバイクの後ろに乗ることにした。
 
運転するオヤジに抱きついて出発、オヤジもいやがっていたがしかたない。
少し走るとバイクの後ろに慣れてきた。
 
ガイドブックに書いてあった査甫らしき村を通る、しばらく家の続く道、それを過ぎると登りになる。
 
寺は小高い丘の続くはずれのまわりよりやや高い丘の頂上にある。
バイクの後ろに慣れてきた余裕であたりを見渡す、抱きついているせいでそんなに首は動かないが。
 
この道はきちんと舗装されそんなにゆれない、対向車もほとんどこない。木のないきれいな緑の丘の間を行く、道の脇には花がたくさん咲いている。
なかなかきれいだここを徒歩で登ってきても楽しいかも、ただし標高は2500以上あるはずだ、相当疲れる。
 
頂上に着く、オヤジに降ろされたところはチョルテンが何本か並んでいた、ここから少し歩くと本堂が見えてくる。
 

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腹がへった、売店があるカップ麺でも食べよう。
お湯をくれとおばさんに頼むと、太陽光コンロのあるところに連れて行かれた。
やかんがかっかっている、すぐついでくれるのかと思いきや、何かひねって15分ほど待たされた。ひねらないと太陽光が集まらないようになっているらしい。

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大きなお堂のあるところまで持っていって食べる、なんとなく雑然としている。
お堂の横に金ぴかの仏像が見える、あんまり好きではない、ちょっとがっかり。

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参拝のチベット人は結構いっぱい来る、みんな車に乗って4、5人で来る。
 
お堂をコルラしたり、いろいろ見物して、ここに来た目的の場所へ……。
 
夏琼寺の琼は日本語ではなんて読むのだろう、中国語ではqiong2、美しいという意味があるらしい。
チベット語の音に合わせた漢字だろう。しかし夏の美しい寺という意味は当たっているかもしれない、ここからは平原を蛇行する黄河が望めるのだ。
きっと夏の草原を流れる黄河の風景が美しくてつけたのかもしれない。
 
そこに行こうとウロウロしていると、そっちには何もない、行くな行くなとものすごい声で坊主に怒鳴られる。
そして黄河はこっちだと指差す、さっきから黄河が見たいと言っているのに早く言ってよ。何もそんなに怒鳴らなくても、漢族だと思ったのか。
 
しかしここの坊主達は少し中国化している、きついし親切でない。目つきも悪い。
 

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黄河が望める場所にはあずま屋があった。
 

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見学も終わりどうやって帰ろうかと考えて何人かに聞いてみた。
 
西寧からのバスは夕方来て次の日の朝に出るらしい。
タクシーは登ってきた車が空いていれば乗れる、今日は来そうもないし、乗っけてくれそうな親切そうな車もない。
 
困って、プレハブのような建物でひまそうにしている男達、いったい何してんだろう、建物の工事で働いてるのか、昼休みか、に聞いてみる。
ひまついでにいろいろ相手になってくれる。しばらくやいのやいのと片言でしゃべっていた。
 
登ってくる道は一本しかないという。それなら迷わないだろうからいっそ歩いて下ろうか、しかし来る時はバイクで30分以上はかかった、歩くとそうとうかかりそうだ。
しかし道は一本ではなくバイクを下りたチョルテンのところから二つに分かれていたのだ、2日後にそれがわかった。なぜわかったかは次の話で。
 
そんなこんなしていると、どこから聞きつけたのか坊主が現れ、車に乗せてやると言ってきた、よかった。
 
しかし運転手は坊主ではなく近くに住む男だった。その家まで坊主に連れて行かれて交渉が終わると、ねころんでいるやさしそうな男がゆっくり腰を上げた。坊主は交渉代をピンハネするわけか。
 
少し走りチョルテンのところで小学生らしい四人組が乗り込んできた。
こうゆう所では貸し切りのつもりが、いつの間にか人が乗り込んでくる、なら人数分で割って安くしてよと思うが、そこまで交渉できる語学力がなく、いつも言われるがまま。
 
じつはチョルテンのあった場所が車を拾う場所だったのだ。ここで待っていれば誰かが乗せてくれたかもしれない。
 
200元取られたが、無事扎巴につき西寧行きのバスを探してもどった。
 
〔扎巴 zha1 ba1 阿岱 a1 dai4 尖扎 jian1 zha1〕 
 

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 黄河は思ったほど美しくはなかった、川岸がきちっと工事されているし周りの景色も近代化しているので +1
お寺の建築類も普通だし、特に見物したいという意欲も感じさせない。私にだけかもしれないがチベット仏教の寺としては坊主が感じわるい -2
寺までの山道は楽しい、まはりの小高い山々も美しく、道の野草達がきれいだ +2点 合計+1 (16年7月)
 
 
 

ダライ・ラマ14世の生家

 
いろいろチベットを旅行しつくした女性が「ダライ・ラマの生まれた家が意外といいの、まわりの風景が素朴な感じで」と言うのだ。ほんとかなあ少しあやしんだが、よし行ってみよう、ということで出かけてみた。
 
今はインド・ダラムサラに住んでいる14世はアムドそれもかなり北の方の人だ、西寧から近い。西寧から平安行きのバスに乗り1時間もかからず平安に着く。
 
西寧から平安までの道には高層住宅や一戸建ての高級住宅が建っていた、それもたくさんこんなに建てて大丈夫なのかと思うくらい。西寧のベットタウンにするのだろうか。
 
グーグルで検索すると海東市で出てくる、同じ所だ。海東市平安県らしい、県(县)の方が市より小さい、それより小さいのが郷(乡)、なら鎮(镇)は、州は、よくわからない。
 
平安の町は、規模とは関係なく、お約束通りだだっ広い広場を備えた鉄道の駅(ここに止まる列車は1日何本あるんだろう?)を出たところにある中国の小さな町共通の広い一本道の町だ。
ほとんどが工事中で雑然としている。真ん中あたりにバスが二、三台止まっていてそこがバスターミナルというかんじ。
 
運転手らしき男に、行き先を書いた紙「石灰窯郷紅崖村」を見せたがそんなとこに行くバスはないと言われた。仕方ないタクシーで行くことにした。
しかしバスはあったのだったそれも30分おきくらいに出ていた、聞く相手をまちがえた。
 

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南に下る高速道路の一本西寧寄りの道を行く、けっこう道は舗装されていて乗り心地はわるくない。
 

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三合鎮というところを過ぎ二股を右に行く、左は寺台。

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 三合鎮あたりの風景、たぶんこの辺りが紅崖村だろう、だってそのまんまなんだもの。
 
だんだん上りになって行く、道はすごくいい、きれいに舗装されたばかりという感じだ。きっとダライ・ラマの生家にお参りに来るチベタンがたくさんいるのだろう。そういう意味では国の意思とは別にダライ・ラマに敬意を払っている感じはする。
 
約30分くらいで村に着いた、しかし……
 
 

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丘がいくつも入り組んだような高いところに丘ごとに集落がある、たしかにのどかで美しい所だ、こんな所に生まれたのか、と感心しつつ車を降りる。
 
どの家が生家かわからないなあ、と思っていると管理しているのか簡単なテントの下にテーブルが置いてあり公安が二人いた。
 
ダライ・ラマの生家はどこでしょうかと聞くと、この上だと指差したが、外国人かと聞き返してきた。そうだと言うと、外国人はダメだと言われてしまった。いったいどういうことだろう、わざわざ来たのに。
 
とにかく外国人には解放されていないと言い、私を置いて立ち去ろうとしているタクシードライバーに、こいつを連れて町までもどれと言いつけていた。
中国のこわい公安の言うことは逆らえない、
 
こっそり中国人づらして通ろうとしてもだめだろう、名簿を書くみたいだし、きっと身分証を見せろと言ってくるはずだ。
最近まで見物できたはずなのに、すぐ規則が変わる中国政府のチベット支配、などと文句言っても始まらないが、がっかり。
 
しかたない戻るしかないな、と思い周りを見回してみるとすぐ近くに祠とタルチョが飾られている。
あそこを見てから町に戻る、いいかと聞くとさすがに公安もかわいそうだと思ったか、いいと言ってくれた。
 
 
少し離れたところにある丘に登り祠を見物し写真を撮る、これで終わりだ。

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向かいの山から村を見る、この中のどこかに生家があるはずだが……。

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この村はどうやって水を確保するのだろう。毎日下から運ぶのだろうか、まあ景色は山の上の方がいいことは確かだけど。

 

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生家の村の先に違う村がある、よく見ると寺がある、とうぜん14世ゆかりの寺だろう。

今から考えればこの村に行って見物してくればよかった、家々の感じも同じだし生活も見れたろう、うまくいけば寺も見物できたかもしれない。

 

帰りは三合鎮で降ろしてもらって麺を食べた。
店のおばさんに蔵族かと聞くと違うと言われた、亭主もやってきたので14世の家に行ったら追い払われたと言っても興味なさそうだった。
この辺は回族漢族中心の街らしい。
 
 
ということで採点不能。(16年7月)
 

新しくなった西寧駅とバスターミナル ★★★

しばらく西寧西駅を使わされていたがけっこうめんどくさかった。
 
やっと14年12月に開業した新西寧駅、どうせまたド派手でバカでかい駅さと思いつつも、けっこう期待して西安からの夜行列車を降りた。
ホームから改札に向かう地下道へ下りる。階段を下りながら横にあるスロープに荷物を滑らすがうまくいかずとても苦労する。けっこう中国のどの駅にもあるがうまく使うのは難しい、どうにかならないものだろうか。
 
改札を抜けると地下広場がありバスターミナルに続いているようだ。これは便利だと思い進んでみるが、なかなかバスターミナルにつかない。迷うのはいやだから引き返し、改札からエスカレーターで地上に出る。
 
しばらく前に進み、振り返って駅舎を見てみる、おおげさでバカでかくない、思ったよりよかった、合格。
 

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右手の奥に見えるバスターミナルで明日からのバスの発車時間を調べようと思い行ってみるが、ここは市内各所に行くバス専用だった。
ってことは、アムド各所に行くバスはどこから出ているのだろう、よくわからない。とりあえず駅すぐ近くの予約しておいたユースホステルに荷物を預けてからもう一度出直してくることにした、まだ朝の9時ごろ時間は十分にある。
 
駅を出て今風のコンクリートの橋を渡り駅前から始まる大通り、建国路に出る。左手にあったアムドへ向かうバスターミナルがなくなっていた。
なくなってみるとあの喧騒がなつかしい。
 
 建物の入り口付近にいるにぎやかな乗り合いの呼び込み、
 民俗服を着たたくさんの蔵族、
 エンジの僧衣をまとった坊さん達、
 大騒ぎして買うバスの切符、
 こわい切符売り場のおばさん、ぼやぼやしてるととりのこされる。
 ここがアムドの入り口という感じだったのに……。
 
今は退屈なビルが一棟立っているだけだ。
当然右手にあった食堂や商店やチベット街もない。今は工事中だ。バスや列車に乗り込む前の腹ごしらえはどこでするのだろう、それらしいところがない。
 
ちなみにこのあたりに地下鉄の発車駅ができるみたいだ、「地鉄」の張り紙が駅からここまでいくつもあった。
まだできてもいないのにそれらしい案内を貼るなっていうの、地下に降りる階段だけはいくつもできていた。
 
宿に荷物を置いて再び駅前広場に、見当たらないのでに座ってスマホを見ているお姉さんに聞いてみる。あっちじゃないと起き上がり指差す。あった!
 
つまり駅を出て、右手に西寧市内各所へ行くバス、左手に中遠距離バスのターミナルビルが建つ構造になっているのだ。
 

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市内各地に行くバスターミナル(右手・西宁公交汽车站)
 

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中遠距離バスのターミナル(左手・西寧汽车客运中心)
 
しかし、右手の市内各地に行くバスターミナル(西宁公交汽车站)は、どこ行きが何番から出るのか案内表示がないのでさっぱりわからない。
市内の各所に行くならこのターミナルは使わず橋を渡って建国路の右手のバス停から乗った方が便利だ。
行き先表示で確認してその番号のバスが来たら、他の客と一緒に走って乗る、バス代は一元、助かる。バスはターミナルから出てくるわけだけど……。
 
あとで調べたところ、2階に切符売り場と案内表示があるみたいだ。でも階段は見当たらなかったように思うけど。
 
中遠距離バスターミナル(西寧汽车客运中心)と書いてあるビルの中に入る、新しくはなっているが昔と変わらない景色があった、
 
荷物をレントゲン検査に通して奥に進むと、右手にまあるい案内所、それなりのお姉さんが二人ほどいて、けっこう親切に教えてくれる。そして正面に切符売り場、おばさん達はやさしくなっていた、よかった。
 
切符を持って改札を通り、椅子に座って待つ、アナウンスされたらもうひとつ改札を抜けて乗車、バスは新しの古いの昔通り。
 
しかし、大きな発車時刻電光表示には昔のようにたくさんの行き先がない。大きな町行きばかりだ、そう遠くない町行きはなくなったのか。
でもそれではとても不便になってしまう。思うに、きれいに整えられた道、とくに高速道路を行くバスのターミナル専用なのかもしれない。どこでも乗ったり降りたりできる道を通るバスは違うターミナルから出ているのだろう、そうとしか考えられない、そうでなければ自家用車のないチべタン達にとってはとても不便になってしまう。
 
他のバスターミナルを調べる時間がなく正しい事はわからないが。西寧のバスターミナルはあと二ついや三つある。
 

●西寧新寧路バスターミナル(客运站)
中心広場から西に行った新寧路と塩湖路が交差するあたりにある。ここからタール寺に行ったことがある
蘭州、共和、湟源などへ向かうバスがある。

●西寧八一路バスターミナル
西寧駅を出て建国路を500m、八一路を左に約1500m、歩いても行けるが荷物があるときつい。ここから西寧曹家堡空港行きのリムジンバスに乗った。

●西寧南川西路バスターミナル
中心広場横の長江路を1キロほど南に下り六一路を右に少し入り南川西路を左にいけばあるらしい。使ったことはないが新しいターミナルだろうか。
「西寧南川西路客运站」で検索すると中国語のサイトに時刻表が載っている、見てみると……、
アムドにいろいろ行けるバスがたくさんそろっている。なんだかすごく便利そうだ! 日本にいても旅行の計画が立てられる、うれしい。
と思ったが時刻表をよく見てみると、国道214号線方面行きが多い。やはり四つのバスターミナルをいろいろ探さないとダメみたいだ。

あらためて改札から地下広場をバスターミナルに向かって歩いてみる。
なんだかさみしく不便だ、商店用のテナントが4、5軒あったが空き家だ、まあ誰も通らないから無理ない。
改札からすぐのところにパッとしない食堂が一軒、コンビニが一軒あった。
さすが車社会に入った中国、でかい駐車場は満杯だった。
地下を歩いて行くにもかかわらず、中遠距離バスターミナルビルに続いておらず、階段を上って地上に出てからでないと入れない。その上階段はビルとは逆の方向に上るようになっている。
 
 
駅舎は悪くないので+1、三つのビルが離れすぎててたどり着くのに疲れる-1、すべてにおいて使う人の身になって設計されてないように思うので-3、合計-3(16年7月)