重慶 ☆☆
重慶は範囲外だが興味深かったので…
1・重慶には駅が三つある、重慶、重慶北、重慶西。まだあるのかもしれないなどと思いつつ、確認して、重慶北発だから重慶北駅の切符売り場へ、旅行社に頼んでおいた蘭州までのキップを取りに。
窓口はずいぶんと親切なお姉さんで、なにか一生懸命説明してくれる。さっぱりわからないという顔をすると紙に書いてくれた。
改札がむずかしいから出たとこにある警察に聞きなさいというのだ。なに言ってんだろこっちはそれなりに中国旅行のベテランなんだぜ、という顔をしつつ、お姉さんに笑顔でお礼。
改札は簡単に通れると思ったら、男がキップの右上に書いてある小さな文字を指さし入場拒否。え、なに、そこには重慶南口広場と書いてあった。ひえーっ、いったいどこにあるんだ。
やっぱり四つ目の駅があったんだ。きっと離れた所にあるんだろうからタクシーで行こうと思い、地下にあるタクシー乗り場まで。けっこう歩くし、並んでるし、駅前は近代化していてめんどくさい。
やっと乗ったタクシーは道をぐるっと回ってどうやら駅の反対側らしいところについた。
運転手がそこの道を行けば駅だと言って降ろしてくれたが、工事中。通りかけた若い男に聞いて階段をいくつか上りやっと南口広場らしき所へ。まさかこんな所に隠れ駅舎があったとは。
改札の入り口にいる男にこのキップで大丈夫かと見せると、いいらしい。やっと安心して少し時間があるので食事でも。
重慶北駅には、北広場口と南広場口があったのだ、たしかに北駅の真裏にくっついている。きっと簡単に歩いて来る道があったんだろう。お姉さんの忠告を守って警察に聞くんだった。
そういえば地下鉄の一覧表に、重慶北駅北広場と重慶北駅南広場って駅が並んで書いてあったななどと思い出してももう遅い。
2・帰りも西寧から15時発の鈍行で重慶まで行った、翌日朝早く到着。飛行機に乗るまで時間があったので少し散歩。今度は重慶駅着、重慶の駅から地下鉄の両路口駅はすぐそこ。
案内に沿って古い市場の中を通って両路口駅へ行こうとするとエスカレーターがあった。なぜか2元取られる、それもそのはずものすごい長さだ、気が遠くなるほど長い。
なにも知らずに乗った私は上の方にくるとクラクラした。写真を撮ろうとしても怖くて振り向けない。これ絶対世界一の長さだろう、乗る価値はあるかも。
しかし事故が起きたらどうするんだろう、ここが止まったら歩けっていうのだろうか。メンテナンスもどうやるのか非常に気になる、日本や他の国なら三つほどに分けるだろう。好きだね中国人は世界一が。でも世界一熱も少し冷めたみたいだ、いっぱい造ったものね。
まずは地下鉄で小什字まで。その先の埠頭の先端の駅、朝天門まではまだ開通していない。
20年くらい昔、重慶から三峡下りの船に乗った、けっこう楽しい思い出がありあの頃の街並みを思い出し楽しみにしていた。
埠頭に下りる長い階段を、棒に荷物を吊るし運んでいる重慶名物のおじさんたちの姿が楽しくて、ずーっと眺めていたっけ。あのおじさんたちは今も元気で荷物を担いでいるだろうか。
小十字の駅を降りてビックリ、全く違う街になっていた。あの頃の情緒ある町並みは皆無、いろいろビルが立ち並んで、すごいと言うかゴミゴミ、めちゃくちゃ。
道を聞いてやっっと先端まで、しかしなんともいえないごちゃごちゃさ。どこもかしこも工事中、古く汚れたビルにかこまれ工事中のビルがいっぱい。
ここがあの階段!? っていう感じ。
先端から眺める川もきれいでない、黄濁しているのは当然としてもなんとなく汚いのだ。埠頭見学はやめ観光名所になった洪崖洞に行ってみることにした。
おじさんたちはいた、少しひまそう。
ぐるっと川沿いに左回りで散歩しようとしたが、警備員が立っていて、洪崖洞までは行けないよ、上に上がってタクシー拾いなって。しかし案内板がけっこうあり、歩いてもそんなに遠くはなかった。
上の方の町並みはゴミゴミしているがちゃんとした近代都市。途中昔泊まった重慶賓館の前を通った。これがあの頃の立派だったホテルか、今では周りのビルに取り囲まれなんだか貧弱なホテルに成り下がっていた。
まだ朝8時台、それでも洪崖洞に観光客はいる。4階あたりに食べ物屋が並んでいるが、やってる店は数軒。
このあたりの名物「抄手」(ワンタンのこと)を食べようと有名らしい店に入るが、開いたばかりでまだ準備中、残念。隣の屋台のような店で麺を食べる。別にうまくなかった。
冷房なしのテーブルに座るとぬるいお湯を出してくれる、当然麺も熱い。俗に「三大かまど」と言われ、中国で最も暑い街として有名な重慶のおもてなし。どんなに暑くても中国人は冷たい水は飲まないのだろうか。
食後一番上の階にある冷房のあるスタバでコーヒー飲んで涼んで休憩。中国中どこでもスタバはあるようになったが、正直コーヒーはまずい。
洪崖洞から見る川はそれなりにきれい。
3・重慶の名物の一つに「小麺」がある、器が小さいのではなく、麺が細いのだ。麺が細いという以外特に味や盛り付けにルールはない、つまり日本のラーメンと同じ。麺類を出す店には必ずある。
そこで毎年その年のベスト50軒を紹介する「小麺50」があるらしい。そうゆうことが大好きな日本人が見逃すわけはなく、重慶在住の日本人が何人か小麺50の食べ歩きをブログに載せている。
その中の一つを食べようと思い、両路口駅から深ーい川を越えて3号線の隣の駅へ。ここがすごい。とにかく大きな川に深くえぐられた山を結んで大都会ができているのだから。
グーグルの地図で見ると駅から店まで高速道路に取り囲まれている、あんのじょうトンネルのすごい道の横の歩道を20分以上一人寂しく歩かされた。やっと高速のトンネルを抜けたがさっぱり方向がわからない。
そこへ若い女性が通りかかる、この辺は重慶なまりか四川なまりで話がちっとも通じない。彼女は私が耳の遠い年寄りだと思って案内してくれた。
示した住所が彼女の家のすぐ近くだったのだ。家から出て来たのにまた戻らせてしまって申し訳ない。約20分近く軽い坂道を登ったり降りたり。これで変な店だったらどうしよう。やっと到着、彼女はお礼もろくに聞かずさっさと帰っていった。
しかし重慶の若者は異様に親切、日本人の比ではない。三人くらいに道を聞いたが、みんなていねいに連れてってくれる、一人の若者はバイクの後ろに乗せ、バス停まで連れてってくれた。
店は普通の感じ、特に味もうまいわけではない。少しガッカリ。
今日が旅行最後の日、今までは体のことを考え抑えぎみにしていたが,辣(ラー)はどうしますと聞かれ、辛いのでお願いしますと言ってしまった。
おかげで帰国してから腹はこわすは、もともとは痛くもない小さな痔が異様にふくれて、痛くて歩くのさえままならず。東京の暑さと旅の疲れもプラスして、5日近くなにもできなかった。
ラーはぜったいひかえめに。
どこ行ってもだだっ広い街ばかりの中国で、唯一といっていい坂道でできた街。前来たときはなんとなく情緒があったが、ごちゃごちゃ朝天門付近と、まったく近代的な周りの街並み。少しつまらなくなったように思う。
地下鉄だとばかり思っていたら線路を見るとコンクリート、モノレールだった。「軌道」と書いてあった。
町の中心朝天門あたりは昔の街並みを復元してくれないかな。-1 モノレールはよく完備されていて乗るのも簡単、路線も多い。現在7車線。+1 人はみんな親切。+1 今回は恵まれなかったが食べ物はうまそう。きたない店がねらいめみたいだ。+1 合計+2
たまに春秋航空は重慶片道3000円とかいうのを出すらしい、それで行けば国内旅行より安い、重慶は観光地は少ないが、高速鉄道で成都に行けば見るところはいっぱいある。
とにかく高い山々が長江によって深くえぐられたところに大都会ができたのだから地形は半端じゃない、歩くのは疲れる。町はどんどん広がり、成都を追い抜いたらしい。重慶おそるべし。
3日間の強行軍 ★★
できるだけ安く行くために、今回は重慶往復の春秋航空を利用してみた。
春頃には片道8000円くらいで出ていたが、7月以降の料金がちっとも掲示されず、6月中旬にやっと出た料金はなんだかんだと往復4万5千円くらいになった。それでも他の格安航空券よりは安いからいいか。夏休みに入っているからしょうがない。
それにしてもLCC専用とはいえ、成田の第3ターミナルのつくりはすごい、他のターミナルと比べれば掘っ建て小屋って感じ。成田空港とは思えない。
しかし航空会社の職員が、中国人も日本人もみんな異様に親切でアットホームな感じ。なにより搭乗口まで遠く歩かされないのがいい。
機内食(ブロイラータイム)がないくらいで別にかわりはないように思う。日本人はほとんど乗ってない。
約4時間で重慶の空港へ、とにかく暑い、リムジンバスに乗り換え40分くらいで重慶北駅へ、約10時間夜行列車に乗って蘭州まで、朝5時ごろ乗り換えて、西寧まで。
翌日の朝9時着の予定が、雨のせいで出発が3時間遅れた。今年の中国は甘粛省が狙われ、蘭州は水浸し、泥水に覆われた蘭州の街を列車の窓から見ながら、 日本の中国地方の水害を思い出す、
なぜか蘭州を過ぎると青海省に入りいい天気、列車の走りも快調。どこで天気が変わるのだろう、不思議だ。
列車は軟臥か硬臥を予約したのだが、席が取れず硬座。おかげで13時間座りっぱなし、周りに遠慮して足も伸ばせず、結構つらい。眠りも浅く10分おきに目がさめる感じ。
そして西寧到着、少し寒い、長袖に着替える。
バスターミナルで玉樹行きのバスチケットを購入。
一番遅いバス寝台を頼んだらお姉さん臨時便5:50発が空いてるというのでそれにしたら、これが失敗。寝台でなく普通の座席。結局15時間くらい座りっぱなし。
この時間の発車だと美しい景色の所はずーっと夜、その上通路側の席、なんだか最悪。
寝台バスのほうがよかった。くさいとか汚いとか言われている寝台バスだが、そんなに気にしなくても大丈夫だと思うが。それより窓が大きいから、横になって美しい景色、いや夜空を見ながら本を読んだり、音楽聞けばけっこう楽しい。
去年は行く先が少ないように思ったが、アムド各地へのバスが増えていた。
西寧は今、西方向に街を拡大している、ビルや高層マンションがいっぱい。こんなに造って使う人間がいるのだろうか。
途中2回のトイレ休憩のほかに、3時間くらいの長い休憩があった。運転手が休むためだろうか。その時降りて見た夜空が美しかった。玛多を過ぎたあたりだから標高4000m近い。
今まで見た星空の中で一番だろう、あふれんばかりの星の数、当然天の川もバッチリ、少し乱視のせいでよけい星の数が増える。誰にでもすぐわかる北斗七星がすぐそこに、ひしゃくが本当に手に取れるような高さにあった。
やっと玉樹到着。まだ午前中。
「玉樹の天気」で検索すると二つほど中国旅行社らしきところが週間天気を載せている。そこには旅行前からずーっと雨っぽい日ばかり、平均最高気温も20度。
旅行前に雨ばかりじゃやばいな雨用のズボンを買おうかとか、けっこう寒さ対策も必要だろうかなど心配したが、毎日正直ピーカンてやつ、全く雨や寒さの心配はなかった。毎日長袖一枚で大丈夫、雨で困った日はなく、夕立みたいな雨に一度あっただけだった。
あの天気予報はちょっと信用できない。
結局、飛行機と列車とバス合わせて32時間座りっぱなし、おかげで足がもう棒、いやむくんで丸太。
夜行列車を座っていくのはやっぱり苦しい。-1 安く来るにはこの方法しかないと思うが、成都または西寧から玉樹間は少し金を出して飛行機のほうが疲れなかっただろう。-1 合計-2 (18年7月)
それにしても西寧から玉樹の道はなぜいつ通ってもきれいに整備され、常に走りやすい状態に保られているのだろう。
今回走った新しい高速道路の終点は玉樹、なぜ玉樹なんだろう、その先の自治区や成都方向には整備されていない。
バカでかい1キロ以上続くトラックターミナルは途中いくつかある。つまりトラックのための道なのか。昼間はあんまりトラックは走っていないが。
常に道路を整備しておいて、いったい何を運んでいるのか、中国にとって大事な物ってなんだろうか。
たぶん玉樹周辺で掘った鉱物、それともミサイルの備品、原発の材料。いつも通ると気になる。
嘉那嘛呢と結古寺(玉樹) ☆☆
9時ごろ宿を出て玉樹といえば有名な嘉那嘛呢へ行く。
1か3路のバスに乗れば簡単に行ける。終点近くのバス停で乗ってる年寄りがみんな降りるので間違えようがない。
バスは20分間隔くらいで来る、そのどのバスにもお参りする年寄りが乗っている、おそれいる。
ここがスタート地点。
すごい数の石が積まれている、写真で見たまんま。字がほとんど赤で描かれているのであざやかだ。
いくつか途切れた所から中に入れる、中に入るともっとすごい、石だらけだ。
大きな石を置きに来た夫婦がいたが、奥さんは重すぎてなかなか歩けない、なんどもおろしながら目的の所まで。
見ていて何もそこまでと思うが、そんな思いがこのすごいものを造っているんだろうか、今に中も石で埋まることだろう。
持って来る石は自分で彫ってきたわけではないのだ。近所で買う。
ここ嘉那嘛呢も石渠で見た巴格麻尼石经塙も、高い壁を作ることが目的ではなく、オムマニペメフムなどの祈りを彫った石、マニ石をほったらかしにせず、みんなの思いを一箇所に集めたらこうなったということなのだろうか。
そんな強い思いが集まるのかコルラする人は老若男女いっぱいいる、 一日中。
年寄りは毎日来てんのだろうか。
よく考えるとここはただ回る、コルラするだけ、の所にこんなにも大勢来るのだから不思議だ。
まあどこのお寺も毎朝年寄りがコルラするだけのためにやってくるのだからそれと同じか、でもどこかでなんかの仏像に手を合わせたい気がする、なんか観光客としては物足りない。
周りにその人たちを当て込んでいろんな店が並んでいる。
石屋はもちろん、食堂、日常品を売る店、洋服を売る店、なんでもありだ。
骨董屋もあった、のぞくとけっこう欲しくなるようなツボなんかを売っている。風船を撃ち落とすゲーム屋まである、なんなんだ。
安そうな旅館もいっぱいあった。
バスを降りてコルラの始まる所のかどにゲストハウスがあった。
嘉那嘛呢という字は何か意味ありげな漢字が並んでいるが、特に意味はない。チベット語の音に合わせてそれらしくしたのだ。だからジャマナニと書いたほうがいいかも。漢字なら嘉那嘛呢石堆(石を積み重ねたもの)と書いたほうがいい、と言いつつ自分は…。
ついでに石渠の巴格麻尼石经塙は、巴格にあるマニ石でできた細い道のような固いもの、って感じだろうか…。
町の中心に戻って茶館で休憩して、今度は結古寺を目指す。
ここは絶対歩いて上ろうなどと考えてはいけない、すごくつらい。
適当に裏道を歩いていたら、寺への方向指示板があったのでそれに沿って歩いて行くとかなり遠回りになっている道で疲れた。
参道のようにできてる結古寺路の坂道を上れば少しは楽だ。
疲れてもたどり着ければいいのだが、この寺はたどり着いてからお堂を見物するにはまた階段をいく段も登らなけれならないのだ。
タクシーでくるほうがいい。
お堂は見たところ両サイドに二つある、街に近い方に上ってみる、しかしお堂は閉まっていた、そのうえ期待していた一望できる玉樹の街もたいしてよくなかった。街の全体がよく見えないのだ。なぜか風も吹く。
反対側のお堂も階段の上、もうやだ、見学はやめた。
結古寺は中にも入れずわからない。0点。嘉那嘛呢はおもしろい、人々のパワーを感じる。+2 合計+2 (17年7月)
寺の入り口に年配の坊さんが手持ちぶたさに立っていて、通る人と話したりしている。
ネット上で見つけた玉樹にあるという美しい寺と露天風呂の写真を持って来た、誰かに聞いてみて行けそうなら出かけようと。
ちょうどいいこの坊さんに聞いてみよう。
なんとあっさり二つとも答えてくれた。
しかし当然何言っているかわからない。チベット語でもいいから裏に書いてほしいとボールペンを渡すが書かない。うーんどうしよう。
そこへ若者が3人、坊さんに何か聞いて立ち去る、呼び止めて坊さんの言葉を書いてほしいと頼むと、気楽に応じてくれた。
わかった二つの場所が!
この寺の写真はとても美しくどうしても行きたかったので、思わず4人に向け手を合わせてお礼をする。さっきチベット人がやっていて見かけた仕草だ。
手を合わせて軽く会釈する、これ使える!
4人ともとっても嬉しそうにしていた。
チベット人も中国人と同じで、ありがとう、チュジェチェとはほとんど言わない。とてもありがたい時、言いにくいチュジェチェなどではなく手を合わせるといいかも。
これで来年の旅の予定がたった、まずまた玉樹に来て、寺と馬と温泉を探そう、その先はこれから考える。
また来年。