达那寺 dá nà sì と 宗国寺 zōng guó sì ☆☆☆☆
「达那寺」はもし行けたら行くことにしようと思っていた、なんせ囊谦からかなり距離があり、泊まれる所があるかも不明だ。道も舗装されていないと書いてあった。
しかし運転手に聞くと片道5時間だという、なら行って帰ってこれる。運転手も乗り気だ。道も悪くないらしい、近くに宿もあるというし、でも運転手は泊まるのはいやがっていた。
写真で見ると特に美しい寺ではない。ただ800年の歴史があり、そのころ建てられた古いお堂が最近国の文化財に認定されたらしい。
それより私の興味をひいたのはこれだ! 観光のブログに載っていた。
寺の近くにある温泉。なんとも気持ちが悪い、苔が付いているせいだろうか、奇妙な形をしている。「象鼻温泉」と言われているらしい、納得。
下に並んでいる穴の中にそれぞれ入ることができるらしい、温度も50度くらいあってちょうどいいらしい、効用もいろいろあるらしい。あの穴に入ってみたい。
よし行ってみよう、運転手と7時出発で約束した。片道5時間弱。
昨日と同じで10分前にドアをノックする音が。今日は西の方角に走って行く。
しかし、少し走ると運転手は車を停め話しかけてきた。5時間かかるがそのうち最後の1時間はバイクに乗らないといけない、それでいいか? 車で行ける他の道もあるが時間がかかり今日戻ってくることはできない。それでいいか?
え、そんなこと昨日のうちに言ってよ、もうその気になって来ているのに。
どうやら残り1時間のあたりは道路の工事中らしい。運転手仲間やそのあたりに住む知り合いに電話して、様子をたずねたみたいだ。
しょうがないよ OK 行くよ。
道は快調、きちんと舗装されている。のどかな草原をしばらく行くと、細い川に沿った岩山の道になった。岩に仏像と文字がいくつも描かれている、滝があった。
そのうちタルチョが見えてきた、峠だ。そんなに道を登ったようには思えなかったが、もともと高いとこから出発しているからか。けっこう観光客がいた。私たちはそこを通り過ぎ、昨日と同じように美しい緑の道を行く。
峠の標識に「肖容多盖拉山」と書いてあった、4712m。
この道は昨日に比べて少しスケールが大きく、たくさんのヤクが放牧されている。大地の大きさのせいか草をたくさん食べたヤクは、アムドあたりに比べて大きく見える。
今日は誰も乗ってこない、往復10時間運転手と二人だけ、話はなかなか通じないので必要以外会話はない、ちょっとつらいかもなどと思う。
運転手は一人運転しながらお経を唱えていた。
途中で僧侶が立っていた、ヒッチハイクだ。運転手が説明してくれる、あれは僧侶ではなく年寄りの巡礼者だ、青海省の寺を詣でてこれからチベット自治区の自分の家に帰るのだ。
へえー、青海省に巡礼に来るのか。その後同じ格好をした別の巡礼者のおじいさんを見かけた。仕事から手を離れても元気な年寄りはこの格好で巡礼するのか。
巡礼者のおじいさんはすぐ先の分かれ道でおりて行った。不思議なのは運転手がなんとなく迷惑そうなことだ、なぜだろう仏教徒同志のはずなのに。
まっすぐ行くと杂多县に行く、私たちは左の整備されていない道へ。
滝のそばを通った時にも別の巡礼者のグループに出会った、彼らはラサまで行くんだと運転手が言っていた。ここからラサまで4か月間かけて五体投地で! すごい。同じグループに帰り道でも出会った、しかしあんまり進んでないように思ったが。
五体投地で進む場合は、彼らをサポートする人間が後ろからヤクに荷物を付けて運んでいく。現代では写真のように車でサポートする。
このグループの場合は少し行っては男が車に戻り、運転してみんなに追いつき、また五体投地をして離れたら車に戻り追いつく、というふうにして進むのだと運転手が説明してくれた。なんだかすごすぎ。
3時間くらい走りると、少し山深くなり道もややガタガタ。車は山々の中腹を大きくカーブして進む。
流れ出してきた川、この先に美しい岩の山々が。
そのうち美しい川と昨日のような岩山が多くそびえる場所に出た。カーブする道に沿って岩山が見えたり隠れたり。するとなんか上の方に昨日と同じような寺らしきものが。
そして岩山をぐるりと回り裏側に出た、寺への道がついていた。この道を登れば寺に着くらしい。上の方に車が止まっている。
登り口すぐそばを通ると「宗国寺」という案内板があった。ここ登ってみたいと思ったが、まだ先は長い、寄り道はできない。
この寺については運転手もよく知らなかった。こんな所にまたもおもしろそうな寺が。あの高い寺に登って見る景色を思うと興奮する。
山の中腹を走る道がぐるぐる回るので、寺のある岩山がどんな地形をしているのかよくわからない。たぶんあの寺に登れば全体が見渡せそう。
西から流れてきた川がいくつもある岩山にぶつかる。岩の間を深くえぐり抜け出した川はまた広がって囊谦の方へと流れて行く。川は岩山の美しさを引き立てている。
左の岩の上の緑の部分に寺らしきものが。
寺への道、上のほうに車が。そして岩山をこえ川の上流に。
あの寺からドローンを飛ばして撮影してみたい!
宗国寺付近の山道 帰り道に撮影。
そしてまたのどかで美しい緑の道が続く。
4時間くらい走って、知らないオヤジが立っている家の前で私をおろし、オヤジに何か聞いてから運転手は遠くの家めざして走って行く。
オヤジが何か私にいろいろ説明してくれるが、わからない。あの変わった形の山の下あたりに寺と温泉があるらしい。
その時はわからなかったが山の形が馬の耳に似ていることをいろいろ説明してくれてたみたいだ。「馬耳山」という名の山だ。
しかしあそこまでバイクか、疲れるなあなどと思っていると、バイクに乗って運転手が戻って来た。後ろに乗っかり出発。
道はガタガタ、道をそれて小さな川を渡る所もいくつかある、けっこうつらい。ここで落ちて怪我でもしたら冗談にもならない。必死で運転手のぷよぷよのお腹にしがみつく。
途中工事をしていて道の端をバイクを押して通る。いちおうそんな人のためのに隙間を開けてくれてはいる。10人くらいでほぼ手動で造っている、いつまでかかるんだろう。
40分くらいで到着、ああよかった、なんだか股の付け根が痛い。標高4123m。
寺は道から少し登る。山の中腹に散らばるお堂を見て歩く。運転手ははりきってお祈りを捧げている。
赤い小屋のようなものが、文化財に指定された800年くらい前からあるお堂だと思う、確かではない。
他のお堂の中にケサル大王の像があった。こんな所までケサル大王は敬われていたのか。
そういえば十何人かの大王の重臣を祀った像がこの寺の山の上にあるらしい。5000mを超える岩山の中腹に、行ってみたいが5000は危険な高度だ、それに登れる体力などない。
寺や仏教の中身などに特に興味もなく、見てくれだけを追い求める私には少し退屈な寺だった。
水マニ車の横を通っていよいよ温泉へ、約3キロ先。
到着!予想よりもはるかに多くの人とゴミがあふれていた。たしかに面白い形をしている。入りにきているのは近くの小坊主と療養らしき年寄り達。この数いるのだからかなり効くのだろう。
岩の上から温泉がもれだし下のそれぞれの穴にたまるようだが、自然のままではなかなかうまくいかないのだろう、少し手を加えてある。
上の温泉が漏れ出すあたりをセメントで固め、長いホースを取り付けそこからお湯が出るようになっている。男が二人ほどいて、ホースを操作している。
前の人が入った後、次の人はひしゃくでお湯をかき出し、ホースで新しく入れてもらう、入れてるうちに少し冷めてちょうどいい湯かげんになる。
水着は持ってきたがなんかこれだけ人がいるところで入るのもと思い足湯で我慢することにして、靴を脱いで準備すると、ちゃっかり運転手がパンツ一丁でつかっている、横に足を入れさせてもらう。
運転手、パンツはもう一丁持ってきているみたいだ、上がると私のタオルをことわりもせずに使って体をふいていた。しっかりしてるよ。
けっこういいお湯で、水着きて入るんだったと後悔した。
温泉につかっている子坊主たちがかわいい、カメラを向けるといっせいにそっぽを向いてしまった。
チベット人は知らない人のカメラを嫌がる、日本の昔のように魂を奪われると思っているのだろうか。
年寄りの女性もけっこう来ている、素肌が見えないようにいろいろ苦労して入っている。若い女性は当然いない。女性用の囲いのある所を造ればいいのに。
食事してこいとホースを持つ男がいう、あっちにあるから。いってみると売店だった、食べ物はカップ麺しかない。お湯を入れ温泉のところに戻って食べる。
宿は簡易宿泊所という感じ、宿泊はおすすめできない、食堂もない。ただこの辺にテントを張るという手はありそうだ、事実いくつかテントがあった。風景はばつぐん。
温泉側から見た馬耳山。
食後コーヒーを飲んでいると、雨が降りそうだ戻るぞと運転手にけしかけられる、待ってよまだコーヒー飲んでんだから、だんだん運転手の自己ちゅう的な部分が気になって来る。
また同じ道をバイクの後ろに乗っかって戻る。二度目になるとけっこう慣れてきて、すぐに車のある所まで着いた。
近くにあった家、運転手が知り合いらしく奥さんと長く話している。なかなかいい家なので、写真をっとた。典型的なこの辺りのチベット人の家。運転手の家に比べきれいだ。
ずいぶん走って、途中休憩。途中の道の風景が美しすぎるせいでこの場所は退屈、しかしいつまでたっても運転手は動かない。もう帰ろうというが反応なし。
その時はは少しムッとしたが、よく考えればもう7時間くらい運転していた。かなり疲れていたんだろう。
2時間ほど走って囊谦に無事到着、今日も意味深い一日だった。明日は7時発で約束して運転手と別れた。
片道4時間半くらい、往復1000元。
达那寺はそれほどよくはなかったが、空気が澄んでて気持ちがいい。+1 途中の寺は注目だ、いろいろ検索しても宗国寺は出てこなかった、それほど名のある寺ではないのだろう。+2 温泉は楽しい。+2 しかしいかんせん遠い。-1 合計+4(18年7月)
尕尔寺 ⑵ gā ěr sì ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
下の道から寺を望む。
寺の学校、まわりも寺関係の建物。
運転手達は山の斜面に一列に並ぶいろいろある仏像にいちいちお祈りして歩く。実はこの男達敬虔な仏教徒でこの寺にたくさん寄進しているらしく、どの坊さんとも親しい。
一通り拝むと、奥の方の小屋に向かう、運転手は私が一緒についていくことに一瞬ためらったが。
小屋のそばにいる坊さんに何か聞いてから、小屋をぐるっと回って南側に。そこには、鼻にチューブを付けたリンポチェ(高僧)が横たわっていた。
それほど病状は悪くなさそうで、巡礼者達に大きく開かれた窓から対応してくれる。二人とも大感激、ひざまづいてお祈り、私も立っていては失礼だと思いひざまづく。
高僧の持っているマニ車を順番に頭につけてもらう。ありがたい、これで少しは賢くなるかも、もう年齢的に遅い気もするが。
お付きの僧が醤油さしのような小さな入れ物から、手に何かの水をスプーンいっぱいくらいずつたらしてくれる。
手に擦り付けていると、吸うのだと言われた。少し残っている水に口をつけた。
三人とも感激して高僧の小屋を後にする。
友達は多分このために来たのだろう。体に障害があり少しでも無事でいることを祈っているみたいだ、チャンスがあればいつでもこの寺に来たいのだろう、同乗したのもよくわかる。
高僧のいる小屋の裏側、造花がいっぱいかざってある。
元の場所に戻り眺めのいい建物の屋上に、そこで同じホテルに泊まっていたスイス人の女性二人と出会う。スイスには山がいっぱいあるのにどうしてこんな山深い所に? などと聞いてみるが、笑っていた。
運転手が言う、あいつら600元でここまで来たんだ、お前は500元で高僧にも会え飯も食え、入れないところにも案内してもらっていいだろう。
はいはい、みんな敬虔な仏教徒のあなたのおかげです。冗談でなく本当のことだ、あらためて運転手に感謝。
中心のお堂の中を見せてもらう。坊さんが「子」と言うのだと親切に説明してくれる、つまりチベット語で「ツ」と呼ばれるのだろう飾り物が部屋中たくさん並んでいた。小さなやつは飾り物として仏像の前に並んでいるのを他の寺でもよく見るが、ここのはみんな大きい。
そして食堂に。ここは坊さん専用、一般人は入れない。ご飯の上にコーンと野菜を炒めをのせた優しい味付けの食事を出してくれた。食器はカップラーメンの空きカップ。
昼飯としては少し多いので残そうとすると、ダメだせっかくお坊さんが作ってくれたんだからと、運転手におこられる。食べる前に友達が運転手の入れ物にたくさん分けていたのはそういうことだったのか。
この寺とても人気があるみたいだ、立派な高僧のせい? 高い岩山の上にある寺に畏敬を感じるせい?
食後、別の部屋へ行きお布施を納める。私も10元出しておいた。すると赤い袋に入った何かをくれた、なんだろうと思い中を見ると黒い小さな玉がいくつも入っていた。
高僧のだ、食べるのだと運転手が言う、へーと思い飲もうとしたが…
昔読んだ「西川一三」さんの本を思い出した。チベットでは高僧をうやまい、少しでも近づくために、ありがたみを分けてもらうために、高僧の排泄物を粉と混ぜて錠剤のようにして食べる風習があると。
ってことはこれは高僧のアレ! ほんとかなあ食べんのやめとこう。ってことはさっき高僧のおつきが手に垂らしてくれた水は、もしかしておしっこを薄めたもの?
ゲゲッ! ペッ、ペッ
このバチ当たりが。
西川一三さんの本はそうゆう坊さん達の生活がいろいろ書いてあって楽しい。チベットファン必読書だ。
なんせ戦争が終わりスパイのようなことをしていた筆者が、日本に帰れず食うこともままならなくなりチベット人にふんして、ラサのデブン寺に入り込み、いちから坊主の修行をしたからなんでも書いてある。
見物も終わり、車の所へ、しかしこの美しい風景をもう少し楽しみたい。下に見える小さな集落の真ん中に緑の広場がある、あそこで休みたいと言うと、あそこはダメだ、この先の草原で休もう。
このために持ってきた携帯コンロの固形燃料に火をつけ、コーヒーを飲む。うーん、とっても幸せ。
それにしても二人ともリラックスし過ぎじゃない。でも、ピクニック(リンカ)はチベット人の得意種目だからこうなるかも。
標高4212m
まわりにはBBQをやったらぴったりの石組みがいくつか。ここで巡礼者達が食事するのか、と聞くと、いや坊さん達が使うのだ。巡礼者達はそんなことはできない。
草原の奥に二階建てのホテルのような建物が、あれはホテルか、いや坊さん達が使うんだ。この辺り一帯は聖域という感じで、巡礼者や旅行者は泊まることはできないらしい。テントもダメ。
あらためて景色を見渡す、きれいだ。
あまりよく撮れなかったがいちおう。
ガアールスー上の道から
よく雑誌などの美しい写真を見て、いろいろな有名観光地を訪ねてみてもそれほどでもなく、写真のほうがよかったってことが多いけど、ふつう! 実際に目にしたこの谷を囲む美しい立体感は写真を見ていただけではわからない、ここは写真を超えている。この寺半端ないって!
サイトにあった写真をしっけいしてこの立体的な寺を説明。360度カメラやドローンがないとむずかしい。
下の方に見えた家々は集落ではなく寺関係の建物らしい、学校もある。車を停め、学校の中へ。小坊主達がサッカーやバスケをやっている。尼さんもいっぱいいる。
学校の脇にあるお堂の中に入る、普通のチベットの寺。そういえば上の寺には本堂というか仏像の前で僧がそろいお経を唱える部屋はなかったなあ。
室内をぐるっと回ってお祈り。脇に巡礼中のおばさん達が一生懸命マニ車を回しお経を唱えている。やっぱり人気のある寺なのだ。
少し下った所に尼寺があった。訪ねてみたが誰もいない。尼さん達は昼間は寺に行って修行しているんだと運転手が言う。でも尼寺は山の中腹にある、毎日ここを下ってあの寺まで登ってまた帰ってくるのか、うーん。
帰途に着いた、途中にある小さな空き地に新しいキャンプ小屋のようなものが立っている。ここに巡礼者や旅行者は泊まるらしい。しかしけっこういっぱいある、そんなに来るのか。
夏は放牧などの仕事で忙しいから、農繁期、秋や冬に来るんだろうか。この寺の寒い冬を想像するとぞっとする。でも坊さん達は生活してるわけだし、すごいな!
囊谦の1月の最高平均気温は3度、最低平均気温は-13度と書いてあった。思ったほどではないが。
行きにトイレ休憩した川岸で車をおりる。二人とも奥の方まで入っていく、ずいぶん長いトイレだこと、ではなかった、二人で野いちごを摘んでいたのだ。子供へのおみやげか。
美しかった寺を思い出しながら元来た道を戻り、町に近づくと、車はまた友達の家の方に向かっていく。車を停め、白菜の種を撒くからお前も来いと一緒に降ろされる。
はあー。
友達が隣の家から鍬を借りてかついでくる。
あの、すいません、私お客様なんですけど、お客様は神様なんですけど、今ここで明るい農作業なんですか、何も今でなくてもと思いますが、え、いや、まあ、でも、いいんですけど、時間はあるわけだし…
畑は道をはさんで家の向かいにある、二人について行くと、青稞(チンコウ、裸麦のこと、チベット人の主食ツァンパはこれで作られる)の畑の脇に3畳くらいの空き地が。
耕作地は塀で囲まれている。田という字はこの形から作られたのだ、しかし日本では田の字を田んぼ専用に使ってしまったので、畑という字を作ったのだ、畑の字はじつは日本製。中国では田んぼは稲田と書く。
などとミニ知識を披露したところでどうしようもない。運転手がひと通り鍬を入れる、友達が白菜のタネをまいて、運転手がまた軽く土をかぶせ、はいおしまい。あんまり平らじゃないけど。
よかったわね種まきできて、私も心配だったの、遅れちゃったら困るもんね、これで美味しいキムチがいっぱい食べられるわね、ほんとよかった、よかった。隣の青稞も立派に実って刈り時だと思うけど、今度どんなお客さんが乗った時に刈るんでしょうね、気になるー、お客様は大混乱。
友達の家、道をはさんで塀に囲まれた畑。
家の前の風景、美しい所に住んでいるのだ。
そして囊谦のホテルへ無事到着。片道3時間、料金は500元。
とくに不満はない、ゆうことなし。 満点 × 2 = 10点 (18年7月)
尕尔寺 ⑴ gā ěr sì ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
囊谦は標高3656m、ベットからゆっくり起き上がらないとクラっとする。
したくをしていると、ドアをノックする音が、 8時出発の約束の10分前に運転手がやってきた。けっこうちゃんとしている。
寺は南の方角、チベット自治区からそんなに遠くないところにある。しかし車はなんか細い泥んこ道の住宅街に入って行き、一軒の家の前で止まった。
どこここ、運転手さんのお宅です、では失礼してと、門をこぐるとチベット犬に迎えられた。
部屋に入ると、おばさんが立っていた。俺のマーマだ。こんにちは、……。
このへんタシデレでもチョデムでもない、誰もあいさつしないから。
椅子に座ると、ミルクティーはなくお湯を出してくれ、食べなとチベットのパンをすすめてくれる。
このチベットのパンはほとんどどこの家にも必ずテーブルの上に置いてある、四六時中。味はほとんどしない、少し日本人には物足りない。
ヨーグルト食べるかといって出してくれたけど、少し勇気のいる容器とコップだった。こわがらずに食べてみた。味は日本のヨーグルトと同じ、少し酸っぱいが。
そーか、運転手さん私の朝食がまだだろうと思い自分の家に連れて来てくれたのだ。なんか使用でもあるのかと思った。
家の中はびっくり、散らかし放題って感じ、囊谦の町が雑然としている理由がよくわかる。チベット人の家でこんな感じの室内はよく見かける。
チベット人てこうゆうところがある、けっこういろいろとゆるい。ゴミが散らかっていても気にもとめないし、約束なんかもそんなに忠実ではない。いま流行りの発達障害だろうか。
いちいち細かくうるさくない、というふうにいい方にとらえよう。
パーパと嫁さんは何処かに行ってるらしい、子供は三人学校へ。
広場で人を拾っていても白タクではない。運転手って役所に登録しないといけないはずだからけっこう収入はいいほうかも、中流の上って感じの家だろうか。
などと家を見回してあれこれ詮索するオヤジと運転手は、吠えないチベット犬に送られて、いよいよ出発。
うーん楽しみだ、写真で見てはいたけれどどんな所だろう。なんて思っている私の期待を裏切って、少し行くとまた横道に男が立っている。やっぱりお約束通り誰か乗り込んでくるわけね。
いっつも半日または一日借り切ったはずの車に必ず運転手の友達とか客が乗り込んでくる。これ中国の常識、私にはむかう手はないのだ。でもこの友達は少し事情が違った。それはもう少したってからわかった。
3人を乗せた車はすぐに美しい道を走る。山あり谷あり、ヤクあり馬あり、家あり寺あり、岩あり、一面の緑、それはそれは美しい!
青海省のはずれだから車も少ないのだろう、なんとなく他の場所より空気が澄んでいて緑が美しい、美しいだけではなく、なんとなくのんびりしていてとてもおだやかな気分になれるのだ。
一面の緑の道が大好きでなんどもアムドやカムに来ている私だが、この道は今までで最高かもしれない。
途中から本通をそれて右に曲がるはずだと思っていたが、うとうとしていて気がついた時は、低い針葉樹のしげる川に沿った岩に挟まれた細い道に変わっていた。
標高3500くらいだと木は生えないはずなのに立派な木に囲まれている。なぜだろう、川の水のせいか?
チョルテンの絵のある岩の前で途中トイレ休憩をすまし、しばらく行くと、あれだあれが「尕尔寺だ」運転手が指を指す。
見上げると高い岩山の中腹に寺が、写真で見ていたから知ってはいたが高すぎる。
左側の平らな部分にある四角い物が寺。
道はくねくねと曲がりひらけた場所に出る、周りは高い山に囲まれている。その一つの岩山に向かって道は登って行く。
着いた、すごい! 寺ではなく周りの景色が。(続く)
パノラマ写真は撮れないのでちょっとお借りして、こんな感じ。