八角城(夏河)  ☆☆

 
沢庫で朝早めに車のたむろしているところに出かけ、夏河に行きたいというと、直接には行けない同仁経由だと言われ、同仁行きの乗り合いを探す。
グーグルマップで見ると脇道で夏河とつながっているように見えるが。
 
気がつくとまた巴滩岔路口に戻っていた。
発音が悪いせいで同仁ではなく同徳行きに乗せられてしまっていた。
このあたり若干なまっているから紙に書いて見せるほうが安全だ。
 
しかたなく乗り換えてまた沢庫、乗り換えて同仁。
もう午後だったので乗り合いは見つからずタクシーをチャーターして夏河、200元。乗りまちがえて大出血。
 
夏河はまたいちだんと近代化していた。
 

翌日タクシーを拾って、夏河の町から八角城へ。
昨日来た道を1時間ほど戻り、細い道に入って20分ほどで着く。

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八角城はNHKのテレビで見た、こんな所に不思議な砦のような村があったのだ。サイトで検索するとずいぶん昔に行っている人がいた。けっこう楽しそうなので行ってみる。
 
いろいろサイトを探してみてもなぜこんなところに城壁に囲われた村があるのかよくわからないのだが、ここは昔は交通の要衝だったらしい。それもかなり古くから中国の王朝の出先機関があったらしい。
今の城壁が造られたのは明か清の時代のようだ。
こんな所に城塞を構えるほどの戦いがあったのだろうかと思うくらい辺鄙なところだ。
 
黒澤明七人の侍のように、山の洞窟に山賊が住みつき、毎年のように略奪され困り果てた村人が城壁を造ったと考えたほうがロマンチックでいい。
 

静かな村の中に入って行くとどこからともなく村人が現れ入城料を取られる、切符売り場はなく村人が交代でやっているみたいだ。
切符はそのまま持っていたほうがいい、他の村人にまた買わされる。
 
運転手がここから城壁に登れる、城壁を一周ぐるっと回れ、と言われ登ってみるが、城壁の幅は狭く、でこぼこ、足がおぼつかない私にはこわくてとても無理だ。 

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上からの村はのどかな感じ、ただ農家の多くは建て直されていて今風の中国の田舎という感じで少し期待外れ。

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もう少し離れた丘の上まで登り、そこから城壁を望んだほうが美しそうだ。
この辺り標高はけっこうある、登りが疲れることを計算に入れないと困ることになる、まだこの先の寺に行くことを考え、丘の登りはやめにした。
 
食堂はなさそうだ。売店はある、腹にたまりそうなお菓子を買った。 

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うまく撮れたかと思ったが、向こう側に見えるのはバスケットボールのあみの部分、なんとかしてくれ。
 

ここだけ見に来るというのは少し期待外れになると思う。むしろこの辺り一帯の美しい農村風景と八角城の写真を撮りに来るのがいいかも。
なるべく夏、緑の多い時期に。そして付近の丘からねらうといい写真が撮れそうだ。

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この辺りは今が菜の花の盛りだ。
 
 
あまりにものどかな農村すぎて城壁に違和感がなく、特別見学したという実感がわかない。+2  (16年7月)
 

沢庫は開発途中  ☆

 
拉加寺から沢庫まで、途中巴滩岔路口(巴滩汽车站)で乗り換え。
 

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三叉路の巴滩岔路口は、大武から西寧までの道から沢庫へ抜ける中継地だ。
少し戻り左に曲がると同徳から興海へぬけられる。
 
ここで降りると運転手達がいろいろいて、行き先を言うと、あれに乗れこれに乗れと指図してくれる。
各方向から来た車もここまでで終わってしまい乗り換えさせられることもある。
 
アムドの真ん中という感じだ。
 
食堂は三軒ほどあり昼飯を食べてから出発。今回は和日寺のある和日町を通って行く。なかなか美しいなだらかな丘の道だ。

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2時間ほどで沢庫着。
 

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沢庫はなんだかいろいろ建設途中で雑然としている、前来た時民族衣装の遊牧民がいっぱいいて、その人達の写真を撮ろうとはりきって来たのに、なんだか違う。

 

ホテルは何軒かある、普通の安ホテル。
 
荷物を置いて散歩。
雨が降ってきた、細かい雨でけっこう濡れ歩きにくい。周りの草原を散歩しようと思っていたが、もう午後遅くなったし雨がやまないのでやる気をなくす。
 
なんか十字路の北の方面を見ると丘の上に四角い大きなお堂が建っている。なんだ行ってみよう。

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 丘の周りは囲われていてマニ車が並びコルラ道になっている。
町の中心からの道がぶつかったところにお堂が二つあり、ここからコルラ道に入れる。正式な入口は少し左にある。

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大きなお堂のある丘の上まで登り町を見渡たしてみる。
 

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なんだ、この新しいアパート群と工場みたいな建物は、こんなに家を建てて住む人がいるのか。遊牧民を住まわせるのだろうか。
でも何の産業で暮らしをたてていくんだ、不思議だ。
 
そんなわけで、大草原の中にポツンとある二本の交差した通りしかない簡素な町が、変わり始めていて少しガッカリだ。
町を歩く民族衣装の遊牧民も減った。
 
しかし遊牧民のテントはたくさん町の周りにあった、雨のせいで緑がにじんで美しかった。

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期待はずれだったが、今度来るときには工事も終わり町も整っていくだろう。 期待して+1だけ。  (16年7月)
 

拉加寺  ☆☆

 
貴徳から大武(瑪沁・マチェン)行きの小型バスに乗る。しかし途中で故障、車掌が車の下にもぐっていろいろやってみるがどうしても動かない。後ろから来るバスに乗り換えることになった。
 

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後ろから来たバスに遠くに行く人から空いた席に乗車。意外と公平。
2時間くらいったってやっと2台目にきた西寧発大武行きに乗れた、大きなバスだ大勢乗ってる。
 

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寺の前で車掌が降ろしてくれた。
まわりには宿らしきものはない。とりあえず寺の道を登ってみるとすぐに坊主に会った。
寺には泊まれない、橋を渡った先の町に行けと言われ戻ると車が一台止まっていた。
 
どこ行くんだみたいなことをいうので宿を探してると言うと、この町で一番の宿に連れてってやると言われ車に乗り込む。タクシンーではなさそうだが。
 
黄河賓館、そう悪くない宿だった、お湯もちゃんと出る。
 
荷物を置いて、長~い橋を渡ってまた寺見物に行く。本当に長く疲れる橋だ、新しくできた軍功大橋。
しかしこの川はあの黄河だ! 疲れることにかわりはないが。

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なぜか寺の向かいの町の名は「軍功」と言う。
 

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寺の見物がてら砂曼荼羅がないか探す。坊さんや参拝客に聞いてみるがみんな変な顔をする、それらしきものはない。
 
なぜこんな所で砂曼荼羅を探すのか、それはそれが見たくて来たからだ。
ここは砂曼荼羅が有名な寺だと聞いたのだ。

ずいぶん昔に奈良の当麻寺曼荼羅が祀られているのを見た事がある。行ったことはないが京都の東寺の胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅は本で見たことがある。
しかし仏像ではなくなぜ曼荼羅を祀っているのだろう。
 
曼荼羅っていったいなんだろう、尊いものだということはわかるが。
浄土の姿を立体的に図示したものだと聞いているが…。

そして砂曼荼羅はなんで砂で描かなくちゃいけないんだろう、さっぱりわからない。
 
しかし2年ほど前、砂曼荼羅に詳しい人の講演会があった。そしてこの講演を聞いたら謎がとけた。
 
そもそも話が逆だったのだ、丁寧に描かれた曼荼羅が後で砂曼荼羅が先にあったのだ。
 
寺の儀式などで一つのお供えとして砂曼荼羅を飾ったのだ。5、6人で一週間くらいかけてきれいな曼荼羅を描く、儀式が終わると川に流す。
曼荼羅は設計図みたいな資料はないのだろう、僧から僧に実際に作るなかで伝えていく。となると砂曼荼羅の知識のある僧のいない寺や、人手の少ない寺は儀式のさい砂曼荼羅が作れない、そこで布などに曼荼羅を描いて儀式のたびに飾ったのだ。
 
つまりインスタント砂曼荼羅
 
絵で描くとなればだんだん発達する。マークのようだった仏が丁寧に描かれ貴重な曼荼羅となり、感激した昔の日本人の僧や役人が日本に持ち帰ったのだ。そして仏様のようにお堂に飾られた、ということだったのだ。
 
これは講演を聞いてのあくまで私の推測。
 
そしてこの寺は砂曼荼羅の宝庫だと聞いた。
曼荼羅は15種類くらいあるらしく、そのほとんどをこの寺の僧達は描くことができるらしい。たくさんの種類を描ける寺はチベット全土でもほとんどないらしい。そしてチベット暦の5月頃その全てを描き上げお祭りが開かれる、ひと月くらい参拝客に披露され川に流す。
 
その祭りにぶつからないかと思って来てみたがあてが外れた、その上この寺で砂曼荼羅を描く祭りがあるかさえあやしかった。

誰に砂曼荼羅の事を聞いても変な顔をする、仕方ない境内を散歩しよう。
 

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本堂の後ろにあるこ岩の上まで登ってみようと、サイトにあった写真を見ながら考えていたが、仏像までは登れるがその先の道が見つからなかった。
 
上からの景色は美しくなかった、家々が建て替えられているが風景と合わないのだ。
古いチベットの家では今の生活に合わないししかたないか、しかしアムドでも数少ない黄河の川岸にある町なのに何かもったいない気がする。
 
でもお参りに来る人は多そうだが観光地ではないのでしかたないか。
いろいろ散歩して宿に戻った。

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次の日の朝チェックアウトがてらカウンターのお姉さんに曼荼羅について聞いてみるが、やはり不思議な顔をするので簡単な図を描いて見せてみた。

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あるわよ、という。本当か、なんで昨日は見つからなかったのだ。感激して荷物をフロントに預けまた長い橋を歩いて寺に向かう。
 
朝早いせいかコルラする年寄りが多くいる、一緒についてコルラする、どこかで砂曼荼羅が見つかるだろう。

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薄暗いお堂の中をフラッシュをたいて写すとこうなる、少し不気味。

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コルラ道には大小さまざまなマニ車が並んでいる。おばさんの後について回して歩く、けっこう楽しい。昨日の丘の上まで続いていて反対側に下る。
 
途中でタンカの御開帳の崖があった、御開帳をするくらいだからやはり大きな祭りはあるみたいだが、曼荼羅は…。

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などと落胆しながらコルラしていると終わり近くに、老若男女そして僧侶も交じってなにかしている、よく見ると大きめのマニ車を直しているのだった。
 

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ニコニコ迎えてくれるので中に入って写真を撮る、そしてすごいことを発見してしまった。

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マニ車の内側に沢山の印刷された紙を白い布で巻きつけている。
ひょっとしてお経か?  そうだった、小さい文字でお経が印刷されている、全ての紙に印刷されているのだ、すごいな!

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マニ車の中にはお経が収められていると聞いていたけど、納めるどころかぎっしり巻きつけられていたのだ。どおりで重たいはずだ。
 
これだけ入っていると一回回すたびお経を唱えたことになるという話もまんざらでもない。これからは遊び半分でなく回そう、などと考えてしまう。
 
地面に置いてあるお経の紙を、写真を撮ることに気を取られ踏みそうになるたび、にいちゃにどつかれる。お経を踏むなんてなんてやつだ。
 
すごい成果のあったコルラだった。

あの絵を見たホテルのお姉さんはマニ車に見えたわけだ、嘘を言ったわけではない私の絵がよくなかった。
 
チベット語や、中国語の簡体字曼荼羅をどう書くのかきちんと調べてくるのだった。それを書いた紙を見せれば少しは何かわかったかもしれない。
 

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そんなこんなで寺見物を終え、次の町へ。バスターミナルがないのでお店の人に聞くと、そこに立っていればすぐ来るさと言われた。
町の中心から西寧行きのバスに乗った。けっこうバスは通る。
 
マチェンに行く途中寄ってみるといいかも。
 

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町から見あげた寺の遠景は美しい+1 寺から見た町並みは美しくない-1  どこにでもあるようなコルラ道だがそれなりに楽しい+1 マニ車に対する発見があったので+1 砂曼荼羅情報が得られず-1  合計+2  (16年7月)