扎倉温泉(貴徳)  ☆☆

 
貴徳の温泉賓館は近くの温泉から湯を引いてあるので、湯船にお湯をためれば温泉気分を味わえる、と聞き4,5年前泊まってみた。
しかし狭い洗面所のバスタブではなんだか気分が出ない、それにいやに熱かった。
その時温泉プールもあった、でも中国のプールはちょっと衛生面が。
 
引いてある温泉とはどこにありどうなっているのか少し気になった、それで今回行ってみることにした。
 
チベットには温泉がたくさんある、でも日本みたいな温泉の利用はされていないようだ、どう使っているのだろう…。
 
温泉の名は扎倉温泉、タクシー運転手に書いた紙を見せるとどこだって顔をしている。
え、近くだっていうのに違うのかと思ったが、よく考えると日本語の倉と、簡体字の「仓」(cang1)はかなり違っていたそれで混乱したらしい。
 
ついでに「扎」は日本語では何だろう、括る(くくる)だろうか、読めない。
 
考えたあげく運転手はたぶんここのことだろうと思い車を走らせた、約20分くらいで到着。
 
舗装された広い道から少し入ったさびれた村のようなところだ。
壊れそうな家が立ちならぶ細い道の手前で車を降りて歩くが、ここが温泉とは思えない。

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見わたすと左手の丘にきれいなお堂が見える。あそこに行ってみようかと思い向きを変えると、どこから来たのかおばさんが、あっちあっちと指差す、やはりわびしい道の奥に温泉があるらしい。
 
道を上ると奥の方の左手に川があった。
露天風呂のような池が幾つかある、あとは蒸気とお湯の出ている口と硫黄の色のついた石、硫黄のにおい、少し細いが日本の温泉地にあるような川と同じだ。

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ちゃんとした保養施設はないんだろうかと思い細い道をもうすこしのぼってみる。
 
両側にはただ四角いだけの小さな部屋が並ぶ、ドアもなく、床も汚れたまま電気もない、こんなところで療養するんだろうかと思っていると一つの部屋で薄暗い中たたずんで読経する坊主がいた。足の悪い尼さんともすれ違った。やはりいるのだ。

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 部屋の壁には携帯の番号が、ここに連絡して借りるらしい。
 
道が終わり丘にたどり着く、しかし施設はなく壊れた小屋が二つほど。
ふと川を見下ろしてみると、さっきは誰もいなっかった露天風呂に入ろうとしている坊主がいた。
 
どうやら温泉はこの露天風呂のことらしい、3つくらい池がありセメントで補強してある。
 
よしあの坊主と一緒に入ろうと思い、道を下って坊主のところに行く。
いい感じの坊さんだ。このためにわざわざ日本から持ってきた水着を見せ、これで入っていいかと示すとうなずく。
 
早速水着に履き替えると、坊さんが上着も脱いで入れという、自分は服を着ているくせに。指示に従い水着だけでお湯につかる。
 
これがとってもいい、完全に温泉だ。湯加減は坊主が源泉の入り込むホースを入れたり出したりして調節してくれる、水はないが空気で温度が下がる。
 
小さな露天風呂に足を伸ばして空を見上げて横たわる、暑くなったらふちに腰掛け休む、湿気が少ないせいかすぐに水分がとんでいき、体温が下がり気持ちがいい、それを何度か繰り返した。
 
坊さんは年の頃50代なかば、足の治療のために温泉に来ているようだ、歩くのが少しつらい。
そこえ観光客が来た、カメラを坊さんの方に向けると突然怒り出し、やめないと石を拾って投げつけた。
少しびっくりして私もカメラはやめにしといた。
 
露天風呂で療養する坊さん、これは絵になる。そんな風に自分を利用されることに怒っているようだ。
聞くとラブランから来たと言っていた、夏河のことだ。観光客の多く来るところだ、そこでもカメラを向けられることににうんざりしているのかもしれない。
 
かなりガッチリした体をしている、普通のチベット人より背も高い。きっと力仕事をしていてケガをしたのだろう、傷は治っても痛みは取れず、この温泉に時々治療に来ているのかもしれない。
 
ケガのせいで修行も思うようにいかず、僧侶としての地位を得ることも難しくなっているのかもしれない。そんな風に色々思う…。
ただ一緒に風呂に入っているだけなのに少し心が通じたみたいな気がした。
 
もう少し中国語の勉強をしておくんだった。20年前くらい中国語を習っていた頃はまさかチベット人と中国語で話ができるとは考えてもいなかったし、チベットには興味がなかった。
 
ある程度しゃべれて旅行ができるとそこで学習意欲が消えてしまった。旅行ができる程度の語学力では話をしても自己紹介程度で話が終わってしまう。
もう少ししゃべれたらこの坊さんの悩みを聞いてあげられたように思った、仲間内には語れないこともありそうだし。
 
少し悲しみを抱いて生きてるように見えた。
 
そんなことを考え横たわりながら空を見上げると、川に張り渡したタルチョが青空の下風にはためいていた。
 

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湯から上がりゆっくり着替えを済ましていると坊さんも上がるらしく、布でふさいだ線を抜き、湯を入れ替えていた。ここにはそれなりの入るルールがありそうだ。
 
川の入り口近くに湯の出ている口があった。見ていると近くで話をしているオヤジが飲め飲めという、おそるおそる置いてあるひしゃくで飲んでみる。
これがうまい、少し塩分が含まれていてほんのり味がする。なんでこんな味がするのだろう、日本で温泉を飲んだ覚えがないのでよくわからない。
本当に何杯でも飲めそうな味だ。

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うと後ろを振り向くとさっきの坊さんもあがって来た。しばらく一緒に歩く、あなたの泊まっている部屋を見せてほしいのだがと聞くと、たやすく頷く。
 
一本道を下ると保養所と書いた施設があった、そこに泊まっていた。
部屋に大きめのベットがひとつ、小さな机、奥にトイレもありそうだ。
暗い小屋ではないからここなら泊まれる。
 
坊さんと別れ保養所の庭に出ると若い男が二人道具をかたずけていた、従業員らしい。ここは外人も泊まれるかと聞くと、パスポートがあれば可能らしい。さすがに公安もここまでは調べに来ないだろう。

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もう少し下るともう二つ保養所と招待所があった。
招待所からお姉さんが出てきた、帽子をかぶり大きなサングラスとマスク、日よけの完全武装だ。薄い服を羽織り、中に温泉に浸かってもいい服を着ているみたいだ。
いろいろ聞いてみたかったが早く温泉に浸かりたいみたいで行ってしまった。

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温泉のおかげで足の疲れも取れた、歩いて貴徳まで戻ろうと思い歩き出すが、この道は本当につまらない、家もなく畑もなく当然木もない、荒れた土と岩の小高い丘が続いている。道の舗装だけはきちんとしていたが。

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30分も歩いたらあきてきた、道の端に売店があったので椅子に座り、車を待った。
結構車は通る、運がいいすぐにタクシーが来た。
 
席がひとつ空いていた、日本人だとわかるとけっこう喜んでくれた。
隣に座る若い男がスマホの翻訳アプリを操作し「これから貴徳のバスターミナルに行きます」と日本語で表示させ見せてくれた。
うーん、中国のスマホ文化もここまで進んでいたか…。
ということは、私が旅行用ルーターを持ち同じようなアプリを入れておけば、会話が成り立つということだ、でも私はガラケイだけどね。
 
 
なかなかいい温泉だが施設は貧しい。それなりの売店は三軒ほどあり、タオルもカップ麺も売っているから泊まることはできる。貴徳で色々買い込んでくる手もある。ただし水着は必携!
 
よし今度ここに一週間ほどこもってひっ筆活動に専念するかと、もの書きでもないのにその気にさせる、そんな何もない所だ。
 
泊まると年寄りの坊さんや尼さんと友達になれそうだ。
 
しかし河原にはゴミがたくさん落ちている。泊まるにはまず河原の掃除から始めねば日本人には気がすまない感じだ。
 
私以外にこんな所で温泉に入りたいなんて人はいないと思うが、もしいたら、ここは標高2300mくらい、温泉は高山病にはよくないので弱い人は足湯でがまんしたほうがいい。
 
 

温泉はよく効く+2、施設はひどいし池の周りはゴミだらけ-2、一緒に入らしてくれた坊さんに敬意を表して+2   合計+2  (16年7月)
 

観光地を目指す貴徳  ☆

 
約束通り8時にタクシーに乗り李家峡を出発。
昨日南宗寺に行った道の途中に貴徳方面という看板があった、この道を行けば近そうだと思ったが…。
昨日も通ったチェクポイントに着く、公安のお姉さんが運転手にいろいろ説明している。
 
話し終えた運転手が紙に書いてくれる、この道は観光専用で普通に通行として貴徳に行くことはできないのだと。よく意味がわからないがあきらめるしかない。
 
どうやって行こうかと考えていると、運転手が北岸の道を行くがそれでいいかと聞いてくる、もちろん、よかった、そういう行き方があったか。
 
道を戻り脇道に入りしばらく行くと夏琼寺という標識があった。
ここ行ったことあるかと聞くから、二日前に行ったと答えると。へえ~と、変な所ばかり行く変なオヤジだって顔をされる。
 
そのうち見たような道になった、気がつくと夏琼寺のチョルテンの所に着いた、どうなっているんだ。
つまり夏琼寺に登って行く道は二本あり、両方向から行けるわけだ。そしてチョルテンの所でつながる。そしてここが車を拾う場所にもなっていた。
 
そしてきのう二日前と同じ道を下る。
途中の町で後ろに三人乗せ、運ちゃんは一生懸命かせぐ。
 

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段々畑が続く美しい緑の大地の合間にこういう茶色い山がポコポコと現れる。
 
貴徳のバスターミナルに着く、200元というから50元プラスしようとしたら受けとらない。帰途また途中の町で客を拾いながら行くから大丈夫だという。
中国にもこんな運転手がいたのだ。この男の爪の垢を煎じて漢族の運転手に飲ましてやりたい。

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いい感じの運転手、日本のどこかにいる誰かに似ている。チベット人と日本人は似ているが、この辺はモンゴルの血が入っているせいかもっとよく似ている。もう少し南カムに行くとやや彫が深くなる。
 
貴徳の町は道一本、のはずだったが、町が長くなっていてそこにたくさんの住宅と何軒ものホテルができていた、こんなにホテルを造って来る人がいるのだろうか。
 
バスターミナル周辺の安いホテルは外国人おことわりだ、一本道を1キロほど行った町はずれの温泉賓館に行ってみる。
外国人OKだが、パスポートをコピーしてそれを台帳とともに保存しないといけないらしい。

あれを見てコピーが故障中なのとカウンターのおねいさんが言う。隣のホテルなら泊まれると言う。
 
行ってみるが、隣といっても林がずっと続いていて荷物を引いて200メートルほど歩く。ちょっと大袈裟な作りの新しいホテルだ。きっと同じ経営者だろう、コピーが壊れてることにして泊まらせたかんじだ。

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部屋にていねいに書いてあるにもかかわらず、入力してもつながらない。

 
翌日町を午後遅く散歩した。温泉賓館向かいから細い道に入ると黄河に沿った公園というか緑地帯になっている、バスターミナルの裏あたりまで続くからかなり長い。
そしてこの公園のメインは金色のバカでかいマニ車、香格里垃にもあるらしいが…。
 
マニ車までかなりある。やっとたどり着いたというのに、5時過ぎていて中に入れない。
なんだよ宗教を商売にするなよなと思ったが、ラサでも日本の京都でもお寺はお金を取っていたな。
 

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数年前にはなかった「中華福運輪」と名付けたらしい、ちょっとね。
 

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ここでは黄河も普通の川、でもきれいだ。

 

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こじんまりとした寺。

 

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まさかこんな所でシンデレラの馬車に会えるとは、あったな日本の昔の観光地にも雰囲気ぶち壊しの妙なものが。

 
このバカでかいマニ車、その向かいにある寺、道教の寺院か昔の政府の建物玉皇閣、公園、黄河の舟遊び、そしてくる途中道から見えた結構きれいな湿原千姿湖湿地公園。てところで観光客を狙っていそうだ。西寧から日帰りもできるし、バスもたくさんあるし。いまどきの中国人はマイカーか。

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西寧行きのバスは30分に一台のわりで出ている。
 
西寧へはバスが頻発しているからここも時間調整や高地順応に使える。アムドの旅を終え、飛行機や列車がまにあうのであれば、ここに泊まって翌日西寧から帰国という手もある。
西寧よりは面白いし。うまく温泉賓館に泊まれれば、バスタブに温泉をためてゆっくり体を休められる、ただし熱いので注意。
 
 
マニ車は回せなかったが遠目に結構きれいだったから+1、あとは興味がなくて採点なし、合計+1 (16年7月)
 

南宗寺  ☆☆☆

 
黄河がアムドの北に流れてきて貴徳の先で大きなダムになる、李家峡だ。
赤い土の山々をぬって舗装道路が走っている。国立公園になっている、意味はわからないがカンブラ(坎布拉)という。
 
その北岸の観光道路からは李家峡がきれいに見える、その反対側南岸の山の中腹に南宗寺がある。行った人は少ない。
 
ボランティアでアムドの貴重な建築物を直しているグループが、7年位前にお堂を修復していた。
チベット自治区仏教が迫害を受けた時、逃れてきた三人の高僧が修行を積んだゆかりのお堂らしい。大仏教国にもかかわらず仏教が迫害を受けた時代もあるのだ。ちょっと行ってみたい。
 
サイトで5、6年前訪ねた人の記録を読むとずいぶんさびれた、交通手段もきびしいとこらしい、ますます興味が増し、出かける。
 
ところが‥‥サイトで見た南宗寺は昔の話だということがすぐにわかった。ダムも寺もきちんと整理され観光化していた。
 

西寧から李家峡行きがあるはずだが見つからない。
昨日行った扎巴の運転手達がここからでも行けると言っていたので8時発のバスで扎巴に。しかしそこからはそれらしいバスも乗り合いもない。
 
いろいろ聞いていると親切なオヤジが教えてくれた。
 
ここから頻繁に出ている康杨行きの乗り合いに乗り、康杨からタクシーを拾えば行けると。
よく観察すると扎巴からの乗り合いは康杨行きしかなかった。
 

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 さっそく乗り込む、まだ客は二人、満員になるまで出ない。通りを行ったり来たりして20分くらいでやっと客をひろい、五人乗って出発。
 
結構距離はあった。康杨はダムに流れ込む川沿いの町だ結構大きくにぎやかだ、大きな川があるせいで景色もいい。
 
乗り合いを下りてウロウロしてるとタクシーが私を見つけてやって来た。
15分くらいで李家峡の町に着いた。小さい、その上工事中、今アムドの町はどこでも工事中!  時間は昼頃だ。

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メイン道路が一本、そこから右折する行き止まりの道がありそこにホテルがあると言う、行ってみたが見つからない。
やっと見つけたホテルの玄関は封鎖されている。横の売店の女に裏に回れば入れると教えられホテルの裏口に行くと入れた。
 
しかしフロントはしーんとしている、大きな声で呼んでみるとお姉さんが出てきた、別に不機嫌ではなかった、よかった蔵族らしい。
フロントにはスマホの番号が書いた紙がある、そこに電話してお姉さんを呼ぶらしい。スマホなしの中国暮らしはもうありえない。
ホテルは悪くない、でも誰でも入れるわけだからちょっとぶっそうだ。
 
荷物を置きやっと南宗寺に出発だ。
 
メイン道路に行くと運転手らしき男が二人ほど道端に腰掛けていた。一人に南宗寺に行きたいと言うと立ち上がりタクシーに乗せた。
この男が大正解だった。
 
ダムの周りにはきちんと舗装された観光道路が完成していた。
 
少し行くとチェクポイントがあった、女性の公安と知り合いなのだろう運転手がしばらく話している、また少し行くと観光船の船着き場の入り口を通った。
ここから船が出るのか乗りたいなみたいなことを言うと運転手が目を輝かせ、ちょっと待ってろ船に乗れるか電話してみると言い、車を止め電話した。
 
大丈夫だ船はありそうだ。この車で寺まで行き、帰りは船に乗って船着き場まで戻りまた車に乗る、っていうのはどうだと聞いてきた。
 
ものすごくいい!  思っていた通りになった。ありがとう運ちゃん。
 

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途中の休憩所、運転手が手を合わせて拝むまねをする、そうだね仏様みたいだ。
 
南宗寺のふもとに着く、きちんとした階段ができている。
ここだ、上まで登れと運転手に送り出され頂上を目指す。
 

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階段は長くけっこうけっこう大変だ。上からチベタンの一団がお祈りの歌を歌いながら楽しそうに下りてくる。「チョデモ」 あいさするとニコニコして挨拶を返す。
 
この辺はチベット語ではなくアムド方言、タシデレではなくチョデモ。
さよならにも使える。デモでもOK、デモと言うとニコニコ手を振ってくれる。
 
やっと頂上についた、しかし湖が一望できる美しい景観を予想していたがほんの一部しか湖は見えなかった。そんなにきれいではなかった。
 

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 赤い山の左にほんの少し見える水色が湖。
 
寺は尼寺、優しそうな尼さんに声をかけると、二人でこのお堂を守っているのだ教えてくれた。尼さん二人でこんな山の上。昔は階段などなかった、山をはい登るという感じ、すごいなあ。
 

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あの修行のお堂は日本人が修復したはずだけどと聞いてみたが、そう…という感じ。
修復した時の完成写真は鳥取県の投げ入れ堂のような感じだったが、今は前に広場が作られこんな感じだ。

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元来た階段を下り船着き場へ。いくつかある寺に連れて行くかと思ったが、運転手は興味なさそうだった。見るほどのとこではなさそうだ。
 
船着き場のテントには男が一人、あの運転手と俺は友達だと説明してくれる、そして船代をタダにしてくれた。

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この男もなかなか感じよく、このパンフレットは俺が編集したんだと見せてくれた、ついでだから一つ買った。 

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船は十人乗りくらい、英国人が一人、残りは八人組の漢族の家族。
これがすごい、走り出すと小さな船内を歩き回り写真を撮りまくりじっとしていない。私はといえばたった八人で夜もねむれずというかんじだった。
 

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うまく撮れたから中国政府にゴマすって掲載。

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南宗寺は湖からは見えない、寺の向かいの山に建設中の仏像がよく見える。
 
湖は思ったよりいい感じだ、いろんなグループがボートよりやや大きいが、この大きさで大丈夫なのかと思う舟で見物している。でも湖はあまり風が吹かない感じだからいいのだろう。
 

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船はすぐに船着き場に到着した、少し短すぎる。階段を上ると運転手が待っていた、二、三人の男たちと雑談しながら。
 
一緒に少し休む。
と、その中の一人が日本はいい国だとさかんにほめる。
恐縮していると、突然「北国の春」を歌い出した。その歌はもう古いだろうと思いつつ一緒に大声で歌う、大ウケ! 炎天下の青空の下で酒もないのに。
 
もっと歌いたい気分だが二人に共通する曲はこれしかない。
しかしこの曲は何年もたっているのに覚えていて歌いやすい、詩もなかなかいい感じだし、大ヒットしたのもうなづける。
 
 
できたらいいなと思った通りに寺を見物でき船にも乗れて大満足。運転手と明日の朝8時に会い貴徳に送ってもらう約束をして別れた。
 
翌日の朝、通りに西寧行きのバスが止まっていた。8時過ぎに出て行った。西寧からのバスはあるのだ、李家峡行きではなく坎布拉行きのようだ、同じ場所だ。

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ここは青蔵鉄道を乗る前の高地順応に使える。うまくバスを使えば西寧から1日で往復できる、数人でタクシーをチャーターすれば簡単だ。タール寺見学に飽きた人におすすめ。

いがいと李家峡は美しく船遊びも楽しい +2、寺もなかなかいい雰囲気なので +1 合計3点  (16年7月)